日本だけが失敗を続けている訳ではないが,他の国がどうであるかなどは余り気にせず,比較もしないとすると,なぜ,日本はこれほど失敗を繰り返すのかと思う.

たとえば,小泉内閣が終わった後,安倍,福田,そして麻生と3人の自民党総裁はいずれも突然の辞任や選挙の大敗で,1年しか首相をできなかった.

首相は日本の進路を決めるのにとても重要な役職のはずである.そして,小さな市の市長さんでも任期は4年あり,普通は二期やって始めてある程度の成果もあがる.それなのに,日本国の首相が一年に一度づつ変わって,日本に打撃がないわけはない.

安倍さんは年も若かったので,あまり批判したくないのだが,やはり一国の首相だから,もし病気で退陣するときでも,自分は病気だからと言わなければならないだろう.

会社員でも重要な仕事を病気で休むときには,その旨を言うし,まして役職を引くときには,誠実さという意味でもいう必要がある.そして,政治的な争いで退陣したのなら別だが,理由も言わないで引いた場合は,復帰してはいけない.

安倍さんには悪いけれど,敵前逃亡したのだから,信頼は回復しないのだ.

その後は福田さんが継いだが,これはもっと酷かった.小泉さんの郵政改革でとった約300議席がもったいないということで,本来,首相には向かなかった人が首相になったのだろう。

福田さんの退陣の記者会見は安倍さんより酷かったので,国民はひどくガッカリしたものである.

その福田さんがこの衆議院選挙に立候補したのはビックリした.福田さんも安倍さんも官房長官をやっていて,首相というものがどういうものかは良く分かっていたはずだからだ.

その後を受けた麻生さんも「もったいない」300議席に固執した.郵政民営化で獲得した300議席にこだわって,かつ郵政民営化を批判したときには私は唖然としたことを記憶している。

この3首相が行った「事実」は日本の武士道を完全に否定したという意味で歴史的な事件であったと私は思う。

今頃,武士道と思うかも知れないが,日本が世界に誇る文化の一つであり,指導者は武士道にそった行動が求められる。それでこそ,この日本という風土の中で安心して暮らしていけるのである。

日本人は心優しい国民なので,首相を引いたら,それはあまり追求しないということで,これも大切な文化だが,すこし学問的には解析をしておいた方が良いと思う.

過去を振りかえることは時に辛いことではあるが,それは江戸時代にも奈良時代にも行われている.

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首相が3回にわたって惨めな退陣をしたこと,その原因は,「ひ弱な二世」にあるが,ひ弱な二世を作った原因は「飛び抜けて恵まれた職業としての議員」の存在である。

民主主義において議員は「庶民の代表」である.それは殿様やその手下(官僚)に対して,庶民を代表して監視する役割を持つ。

従って,議員は「税金を支払う立場」であって,「税金をもらう人」であってはいけない.

ところが,議員になると法外の報酬(年約4000万円と利権)を手にして,デラックスな議員宿舎(乃木坂)にただ同然で過ごし,新幹線は無料パスである.

この事実は「祖父の時代から議員」をいう家を見てみれば事実が示している。庶民の代表として議員になるなら,「おじいさんが議員だったから,貧乏になった」というのが普通であるが,それが逆である。

おおよそ「楽でお金が儲かる仕事」の場合,父はその息子に仕事を続けさせたくなるが,「辛くお金が少ない仕事」なら,息子に継がせたくない.

このことから見ても,また選挙中にあれほど「民衆のために我が身を投げ出す」などと,まったく普通なら言わないことを言うなど,事実としてはかなりハッキリしている。

議員歳費は,年間800万円を上限にして,議員はほぼボランティアでやるようにすると,第二の安倍さん,福田さん,麻生さんは出ないだろう.

議員歳費が少ないと良い人が議員にならないというのは違うと思う。お金目当ての議員ほど最悪なものはない.

今の衆議院議員,参議院議員は,おそらく1人の例外もなく,「大金のために議員になっている」と考えられる。その証拠に年俸800万円だけもらっている議員はいないからだ.

政治は重要である.そのためには「お金に近づかない議員制度」をまず作ることだろう。

新渡戸稲造の「武士道」に次のようにある.

「武士道は利益を得るようなものではなく,赤貧をその誇りとする.」

「侍は金銭そのものーー金を儲けたり富を蓄えたりすることーーを忌み嫌う.侍にとって,それはまさに悪銭そのものであった.」

「なかんずく金銀の欲を思うべからず,富めるものは智に害あり.」

「多くの藩では,藩財政は下級の武士か僧侶の手で管理されていた.思慮のある武士は金銭が戦力になることを十分承知していたが,筋繊維対する評価を徳にまで引き上げることは考えなかった.」

「武士道が節倹を説いたのは事実であるが,それは経済上の理由からではなく節制の訓練のためであった.贅沢は人格に対する最大の脅威と考えられており・・・」

「このことは,日本の公人が長らく腐敗を免れてきた事実を十分に説明するものである.」

実に日本の武士はものの本質を捉え,自分がつまらない現世の利益を得るよりも気高い魂を持った人間として生きることを望んだかを感じることができる.

(平成21年9月26日 執筆)