終末思想の政策化も第2章に入った.人間の思考回路がどのように働くと,人間は終末というものに怯えるのか,別の角度から1,2回,考えてみたいと思う。

今から200年以上も前に書かれたのに,今でも時々,話題になる本がある.

その本の名前は,日本語では「人口論」と訳されていて,筆者はマルサスである.「人口論」の第一版が出版されたのが1798年だから,すでに210年も昔のものだ.そのころ,フランスではルイ王朝がフランス革命によって倒れた直後で,アメリカ合衆国の建国もあった.そして日本では江戸時代も後半に入り,天明の大飢饉がやっと終わって,疲弊しきった人たちを助けるために「借金棒引き令」がでた年である.

そんな時代に,マルサスは「世界は,人口が爆発的に多くなって,悲惨なことになる」と予言した.かれがこの本を出版するとたちまち大反響となり,当時,まだ若かったマルサスは専門の経済界ばかりではなく,英国社会の寵児になった.

この作品があまりに素晴らしかったので,マルサスは自分が執筆した「人口論」にこだわり,その後,書き直し,書き足しをして,第六版まで進んだ.でも,後の経済界の巨魁,ケインズは「最初の作品は素晴らしい切れ味だったが,改訂されたものはそれほどでもない」と少し辛目の評価をしている.

若くして大きな仕事をした人の後半生は難しい.何もしないと,「あの人はあれで終わり」と言われるので悔しいし,そうかと言って同じような内容のものを出すと,二番煎だとか,三番煎じと陰口をたたかれる.とかくこの世はやっかいなものである.まあ,言ってみれば,あまり若い頃に華やかなことをすると居場所が無くなるということで神様もよくお考えだ.

ともかく,このマルサスの「人口論」はその後のヨーロッパ社会の思想に大きな影響をあたえ,マルサスの亡霊がうろつき,言われない恐怖心を植えつけた.つまり,「今は繁栄しているけれど,キッとそのうちマルサスの予言通り,人口が爆発的に滅びて,現代文明は終わりを告げるだろう」という漠然とした不安が,長い間,先進国の社会を覆い続けたのである.

ところで,マルサスが人口爆発を警告したときには世界人口は7億人を超えたばかりで,それほど人口が多すぎるという実感はなかった.何しろ現代では中国,1カ国で,当時の世界人口の2倍以上もあるのだから,人口が増えることによる圧力はそれほどでもなかったことがわかる.

しかし,マルサスから100年,20世紀に入ると世界人口は2倍の14億人になり,さらに増加する傾向があった.「やはり,マルサスが言っていたとおり・・・」と人口増加の亡霊に悩まされた国際連盟は,研究者に委託して,「将来の世界人口を予測する」という大プロジェクトを始めた。

その細かい経緯は別にして,1932年にプロジェクトは最終結論を出し,「世界人口は,このまま急増を続け,1950年までに26億5千万人に達するだろう。そしてその数を頂点にして人口は減少に転じるだろう」とした.

この報告を筆者が読んだのは1990年であったが,すでに人口は50億人を突破していたので,予測が難しいことを感じると共に,「なかなかほほえましい報告だな」と思った.それは,26億5千万人という細かい数字だった.未来予測というのはそれほど正確にできるわけではないので,約20億人とか約30億人というのなら分かるけれど,26億人,しかもその後に5000万人という端数もついているのだから,「国際連盟の報告としては,予測について素人のようだな」と奇妙に思ったのである.

いや,そんな事を言ったら罰が当たるだろう.そもそもグールドら進めたこの委員会は,その当時の最高峰の学者が選任されたのだから,「素人」などと決して言うことはできないのである.

現代の地球温暖化の予測で言えば,IPCCが「100年後に2.8℃,気温があがる」というようなもので,どんなに精密でも,「100年後に3℃ぐらい」と言うのが精一杯だ.でも,グールドの人口の予測から70年も経っているのに,まだ,2.8℃とか最高で6.4℃などと2桁の数字を出している。

あまり正確では無い未来予測に,このような細かい数字が出るのは珍しくない.その一つの原因は,計算する人が「未来の推定誤差」というのを良く検討していないので,計算で出てきた数字をそのまま発表するからである.

また,ズルをしようと考える人がいると,「約30億人というより,26億5千万人といった方が,予測の信憑性があがるだろう」と意図的に細かい数字を出すこともある.

最近,よく使われる地球温暖化に対するIPCCの「100年後2.8℃」などと言う数字はそれに近い.

またさらに,「どうせ未来予測など当たらないのだから,26億5千万人と言っても約30億人と言って同じことだ,どっちみちいい加減な数字だ」というのもありうる.

ともかく,グールドたちは自信満々で「世界人口の上限は26億5千万人だから,人口がそこまで増えない間に対策を取らなければならない」と主張した.

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上の図はグールドたちが発表したものだが,予想曲線は世界人口が20億人ぐらいになると増加が緩やかになり,その後,26億5000万人で飽和して,その後,すこし減少している.

ところが,それから70年ほどたった2000年には世界人口は60億人を突破し,それでも世界は人口爆発の被害をほとんど受けずに,少なくとも見掛けは悠々ととやっている.予測は完全にはずれたのだ.

このグールドの予測には滑稽な笑い話がついている.実はこの報告は1932年に計算が終わって完成したのだが,当時の国際連盟は1929年のアメリカウオール街から発した世界恐慌や,1933年のナチス・ドイツの出現(ヒットラーの首相就任)などで,世界人口の上限のようなノンビリしたことを議論する暇はなく,この報告書が正式に採用されたのは,戦争が終わった後で,その時すでに世界人口は27億人を突破していたのである.

つまり,国際連盟が大々的に行った世界人口の予測作業は,それが正式報告になる前に,すでに予測の間違いがばれてしまったという結果になったのである.