文字で残された書籍が残っている時代には,「やがて,この世の終わりが来る」といういわゆる終末思想が存在する.その多くは宗教的な色彩を伴っているが,時には社会全体を揺るがしたり,あるいは時の政治に組み込まれて多くの犠牲者を出すこともある.
地域的に認められる終末思想は多いが,世界的に,かつ長い間にわたって信じられてきた終末思想で,比較的,整った全体の思想のもとにあるものの一つが,ユダヤ教,もしくはキリスト教に見られる「裁きの日」である.他の宗教,たとえば仏教でも,個人の死に対して,地獄,極楽という概念があるが,人間世界全体が善悪やその他の基準で裁きを受ける「最後の日」という概念はキリスト教ほど明確ではない.
これに対して,断片的,もしくは長い期間にわたって支持されたものではない終末思想があり,たとえば「ノストルダムスの預言」や,西暦1000年,西暦2000年といった切りの良い数字にこの世が週末を迎えるという例も見られる。もともと西暦という年号は,キリスト生誕を基準にしており,それも紀元0年が正確にイエスの誕生の年であったかは明確ではなく(むしろ,4年ほど違うというのが定説である),ましてキリスト教以外の宗教を持つ集団にとってはほとんど意味を持たない数字であるが,それでも,いったん,西暦という年号が社会に定着すると,その年号の経緯とは関係なく終末思想が顕れる傾向にある。
人間社会において終末思想が繰り返し出現する理由についてはこのシリーズの主たるテーマではないので,省略するが,個人の死という避けがたい終末を社会現象に転写したものであるとするのが妥当であろう。従って,社会を構成する個々人は,程度問題はあるにしても,心の中に個人の死と社会の終末を恐れ,同時に屈折した願望を持っていると考えられる。
近代科学の発展によって,自然界の森羅万象や生命活動について,つまびらかに明らかにされると共に,徐々に終末思想もそれほど強いインパクトを持たなくなってきた.きわめて単純な内容を持つ終末思想は,近代科学ですでに判明している事実で打ち消されるからである。
しかし,1950年代に環境破壊が顕在化すると共に,今度は近代科学の衣を着た新しいタイプの終末思想が見られるようになってきた.個別の事件についてはすでにさまざまな機会に解説をくわえているので,ここでは,個別の事件についての詳細な説明を避け,事件の概要と終末思想との関係を羅列することにする.
環境に関する終末思想の初期のものとして,女流生態学者であったレイチェル・カーソンの諸著作がある.彼女は湖沼の観察を通じて,人間の活動が自然に影響を及ぼすことを指摘し,それは学問的にも大きな貢献であるが,彼女独特の激しい文章が,単なる科学ではなく,科学的な現象,つまり殺虫剤の大量使用で減少した昆虫と,それをエサとしている鳥類への影響,を「このままでは,人間の活動が原因して,人類は終末を迎える」という恐怖を社会に与えた.
日本での環境問題と終末思想との関係では,水俣病事件で,優れた著作を著した女流小説家石牟田道子と,1978年から朝日新聞に連載になり,その後,単行本としてもベストセラーになった女流小説家有吉佐和子の「複合汚染」がある.石牟田道子は悲惨な水俣病患者を前にして,大きなショックを受け「苦海浄土」を表したが,この著作は文学的な色彩が強い.しかし,有吉佐和子の小説は,著者本人が「200冊以上の科学的書籍を通読して書いた」という趣旨のことを述懐しているように,少なくとも表面的には科学の衣を着ている点で,レイチェル・カーソンの諸著作と類似したところがある.
この著作は,農薬を過度に使用すると,複数の農薬の影響や他の環境汚染との複合的関係で,人類が滅亡するのではないかとの危惧が示されている.それを受けて書籍の解説に「人類は化学薬品によって滅亡の淵に立っている」という趣旨のことが書かれている。科学的に言えば,農薬の複合的使用,もしくは農薬と他の化学物質との複合使用が,単一の農薬や他の化学物質の作用からは予想できない影響を人体や自然に与えるという事例は知られていない.従って,有吉佐和子の「予言」は,単なる著者本人の想像に過ぎず,その意味では科学の衣を着ていたり,著者本人が科学の勉強をしたとしても,「複合汚染」は小説であって,科学的な著作物としては認められない.
1980年代の初頭に社会の関心を呼んだ,農薬,殺虫剤,食品添加剤,さらには洗剤や一般の化学物質に対する社会の恐怖感と排斥運動は,主として専門家と主婦層の争いとして継続していた.専門家は「十分な安全検査と科学的根拠を持って,現在使用されているこれらのものは安全である」という考えを繰り返し表明し,一方,主婦層は「そうはいっても,危険ではないか.もしくは安全を強調する専門家は,その製品を作っている企業からなんらかの便宜を図ってもらっているのかも知れないので,信用できない」として,双方の対立は解決することなく現在に及んでいる。
その余韻が残っていた1990年代,アメリカの女流化学者シーア・コルボーンによって「環境ホルモン(内分泌攪乱物質)」という概念が提出され,これも一時的に大きな社会的関心を呼んだ.彼女自身は確かに科学者であったが,長い間,普通のサラリーマンとして働いていたが,50歳前後に環境の中にある人工的な物質が人体や生物に与えるのではないかということに強い関心を持ち,研究を開始し,ビスフェノールAなどの科学物質が,これまで認められていなかった生態への影響・・・特に,性的機能への影響・・・があるという論を張ったのである。この環境ホルモン事件についても拙著などに詳細に記述されているが,その特長は,1)事実の積み重ねである概念に到達したのではないこと,2)性的機能への影響に限定されていること,である.
科学は研究者がある仮説を持って研究を開始することはあるが,それが論文や著作物になる段階では,仮説は姿を消し,事実が記載され,それから演繹的に導かれる結論や推論が書かれる。科学的な仮説は研究中には必要なことであるが,ある段階では仮説を立てた本人自身できびしくチェックし,仮説の誤りを見いだす努力をしなければならない.しかし,環境ホルモンについての彼女の主要な著作「失われ死未来」を読むと,事実に基づいて結論を導き出しているのではなく,仮説を立てて,それに合致する事実を自然界から見いだすという手法を採っている.このような手法が科学的ではないと言うことは科学の専門家としての訓練を受けていれば判明するが,一般の人の場合,ある仮説が冒頭に書かれていて,それに合致する事実が羅列されていると,それによって仮説が検証された(正しいことが証明された)と錯覚する.
(平成21年8月30日執筆 つづく)