戦争が終わって,それまで道徳として厳しく教えられていたこと・・・天皇陛下に忠誠を尽くし,親に孝行し,先生を尊敬し・・・というのが崩れて,さらに「多様化の時代」になった.
生活も,親子4人,それにおじいさん,おばあさんが加わった標準的な家庭が少なくなり,単身の若者や一人暮らしのお年寄りの世帯も増えてきた.
結婚式にはかならず仲人を立て,結納を行うといった風習も一変し,日本社会は新しく,明るく,楽しい,しきたりや制限の少ないものになってきたように感じられた.
毎日の生活も一変した.父親が「行ってらっしゃい」という言葉で送られて家を出て仕事をし,夕方にはかえって風呂に入りビールを飲み,そしてプロ野球を観戦する。
子供たちは元気に外ではしゃぎ回る・・・そんなサザエさん的風景は消え去った.買い物は商店街からスーパーへ,そして今では夜11時頃のコンビニが一番,混雑していたりする。
かつての生活に慣れている人は違和感もあるだろうが,よくよく観察すると,やはり社会は進歩しているように見える。
自由で個人の尊厳が重んじられる社会.一人一人の考えと生活スタイルが尊重される社会へ向かっているように見えた.
でも,分別,もったいない,省エネ・・・などが登場して,社会は逆方向に進んでいるように感じられる.
著者は質素な生活だから,節約でも何でも結構だが,社会にはさまざまな人がいる.その人たちが人に迷惑をかけないようにして自分の夢を果たそうとしているのを邪魔したくない.
それもいい加減な科学の知識を振り回して「環境のために」などと言いたくないと著者は思う.
北島康介選手がオリンピックで金メダルを取るためには贅沢をしただろうし,CO2も出しただろうが,そんなことは構わないと思う。
人間,環境や温暖化より,その人の夢を果たす魂の方がずっと大切だし,そのためにこそ生きているのだから。
わずか50年前は産業界は「テレビ,冷蔵庫,洗濯機」を3種の神器といって大量に売りさばき,30年前に私たち科学者は「寒冷化する」と社会に警告をしていた.それなのに手のひらを返したように,「環境を守れ」,「温暖化を防げ」とは言いにくい.
生活の指針や個人が守るべき道徳と「環境と言う科学」はそのまま直結しているのではない.私たち科学者はそれほど判ってはいないし,まして未来を予測できない.
環境というのは実に難しい.大量生産が環境を破壊するかと思って整理すると,大量生産の方が環境は守られている.その原因は産業界の環境保全活動ができるからだ.
省エネルギーがエネルギーの消費量を減らすと思ったら,省エネルギーが進むほどかえって増えてきている.その原因を調べたら,産業革命以来,人類は同じことをしている事が判る.
CO2を削減しても日本の気温も変わらないし,被害もほとんどでないのに,そして先ほど書いたように30年前は寒冷化を心配していたのに,CO2の削減を毎日のように呼び掛けている。
現代の環境問題は科学の予測によるものだが,科学とはそんなに節操のないものなのだろうか? 科学者,会社につとめている技術者,そして国立研究所の研究員はそんなにいい加減で良いのだろうか?
一つひとつのテーマは奥が深く,到底,すぐに分かるものではない.でも,近い将来,環境に関心のある多くの科学者や技術者が慎重に,そして学問的にデータを整理し,解析をくわえ,そしてより正しい判断ができるようにしてくれるだろう。
科学者の方,企業の技術者の人,是非,慎重によくよく考え,自らの利得や研究費のために行動しないようにお願いしたい.
(平成21年7月27日 執筆)