「お米を作ってくれた人に感謝するのよ! 残しちゃだめよ!」

と小さい頃,お母さんが言っていた.

「紙は裏まで使うのよ! 何でも物を大切にしなければ・・・」

とも教えてくれた。

それは,「エコ」とも「利権」とも関係のない純粋な思いであり,いわば道徳である.

それがいつの間にか「環境のため」にかわり,お母さんが家庭で子供を教育するのではなく,年収が1000万円を超えて,東京に住み,贅沢な生活をしている人からお説教を食らうようになった.

「節約」はその人の信条であり,思いである。決して,人に強制するべきことではない.もし,国や自治体が国民や市民にするなら,経済発展を遅らせてGDPの伸びを抑えるとか,工業のお金を農林水産業にまわすなどが「政策」であり,個人個人の信条まで政治やNPOが入ってはいけない.

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はたして「浪費」と「節約」のどちらが「優れて」いるのだろうか?

節約するとお金があまる.それを貯金することもできるし,ドライブに行くこともできる.だから,個人としては良い.

でも,貯金したお金は,銀行の金庫にしまっているわけではないので,政府か自治体か,それとも会社が借りて使う.節約しても日本全体の活動量は同じであり,「環境」には関係のないことだ.

浪費するとお金は残らない.でも,努力して給料を高くもらうようになったのだから,その努力だけは使ったからと言って問題はない。人間,一所懸命,頑張って給料が高くなることは悪いことではない.そしてその給料を自分が使うのも批判できないだろう。

つまり浪費しようと思っても,借金でもしない限り,給料の範囲でしか使えない.節約よりむしろ浪費の方が再生産にお金が回らないので,環境には良い。

それなのに,なぜ,浪費してはいけないのか?

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人間は夢を持っている。なんとか頑張って好きな外車を買って乗りたいと思っている若者がいる。遠くの国に憧れて,一所懸命になって働き,節約している夢見る少女もいる.

外車も海外旅行も贅沢だ。普通の贅沢ではなく,贅沢中の贅沢だろう。

軽自動車に乗り,国内で慎ましくスーパーに買い物に行っている人から見れば飛んでもない浪費に違いない.

それでも,私は好きな外車を買った若者,海外に憧れている女性を非難したくない.それぞれの夢であり,それこそ人間として大切なことだからだ.

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「多様性」を尊重しろと言う.一人ひとりの人生は夢を持ち,苦しみ,寂しい時を過ごし,友達と酒を酌み交わし,そうして精一杯に生きるのであって,他人から「節約しろ」と言われたくない.

どうせ節約してお金を余しても,電気を消して電気代を浮かせても,それで「環境」が良くなるわけでもないし,それ以上に,「節約」より「自分の人生」なのである.

日本政府は経済成長を主たる政策にしている.ということは,それが成功したら国民の平均所得はあがるということだ.それなのに自治体は節約を求め,省エネルギーを勧める。

政府の通りにすると,給料が上がり,節約するのだから,お金は余る.余ったお金は貯蓄する.貯蓄しても使う人がいないので,政府が国債を出して,使う.何のこともない.国民の節約で政府や役人の天下りの職場を作っているのが現実だ.

「節約」を他人に勧めることは,私の感覚では「犯罪」である.つまり,社会を指導するぐらいの人なら,節約を呼び掛ければお金が政府に行き,天下り作りに使われることは知っているからだ.知っていて,ウソをつくのは犯罪である。

現在のように政府や自治体が節約を呼び掛け,国債を発行して節約したお金を使い込む。政府や自治体はお金を持っていないので,やがて国債を返す日が来たら,その時には増税で補う。

つまり,

1) 節約しても環境には関係がない

2) 節約して余ったお金を貯金したら,それは政府が使う

3) 政府が使ったお金を返してくれというと税金で取られる

4) 結局,節約は増税につながるだけである

ということになる.NPOの皆さん,環境派の皆さん,決して節約を呼び掛けてはいけない.それはあなたの思想信条であって,強制できるものではない.

イエス・キリストの言われたように「善行はソッとやらなければならない.善行を見せびらかすのは偽善者である」.

(平成21722日 執筆)