「節約」は環境を改善すると思っている人が多い。
でも,「節約」ということ,特に「節約するべきだ」というのは,人間の生き方に対する「道徳」であって,それが環境を改善するかどうかは判らない.
「節約」は「道徳」としては一部の人に歓迎されるだろうが,「節約」が「環境」を改善するかは判らない.
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環境はとても複雑なもので,一つの行為が社会全体にどのようなことをもたらすかは,非常に慎重に考えなければならない.
たとえば,1分間に100メートルの糸を引く装置を改良して,1000メートルにすると,同じ時間に10倍も引けるのだから,装置を動かす時間は10分の1になる.
でも,決してそのようにはならなかったというのが人間の歴史である。1分間に100メートルの糸を引く装置を1000メートルにしたから,労働時間がそれだけ短縮すると当時の人は思ったが,かえって糸の生産量は10倍以上になり,労働時間は増大した.
つまり,装置の改良は,大量生産につながり,労働時間は増大したのである。
(当時の政府は「装置の性能があがると労働時間が短縮する」と喧伝していた。)
「省エネルギー」の家電製品や自動車ができると,それ以上に,普及率が上がったり,大型になったりして結果的には「増エネルギー」になったのが,20世紀の後半である.
つまり,個人のある行動が社会に同じ効果をもたらすには,そのことだけではなく他の制約・・・今の生活レベルを向上させてはいけない・・・などが必要だからである。
でも,人間は向上心があったり,強欲だったりするので,結果的には逆の方向に進む。それを政府の識者などは良く知っているのに,「節約」や「省エネルギー」を呼び掛ける.一種のペテンのようなものだから私は嫌いだ.
知っていて人を騙すほど醜いものはない.
「節約」とは,個人の徳目であって,決して環境とは1対1にはつながっていない.そして,道徳や徳目を他人に強制したり,それに国家の予算を出すのは問題がある.
さらに最近では自治体が,自治性を失い,国の補助金をもらえるからと国の出先機関のようになって市民のことを考えなくなってきている。
「節約」は道徳であって,環境の改善にはつながらない.
(平成21年7月21日 執筆)