車内は奇妙に静かだった.かつては横揺れが激しくスピード感のあった新幹線の車両も改善されて,これが時速300キロか?と思うほど滑るように走る.
でも,静けさはそれが原因ではない.ほぼ満員の「のぞみ」の車両の人たちは一言も口をきかず,ただ眠っている。みんな,疲れているのだろう。もしかすると大阪に到着したらすぐ忙しい仕事が待っていて,それに備えてしばしの休息をとっているのかもしれない.
私はカーテンを引いて車窓に目をやった。遠くに小高い山が見え,そこから新幹線まで田畑と点在する農家が目に入る.山紫水明の日本の景色だが,なにせ速すぎて沿線の景色を楽しむことはできない.
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かつて,「旅」というのがあった.切符を買い,待合室でひとときを過ごし,列車に乗り込み,ゴトンゴトンと走り出す音に心ときめかし,そして沿線で手を振る子供たちに手を振る.
こんな時,なんで笑顔になるのだろうか? 沿線で手を振る子供も大人も,そして列車の乗客もみんな笑顔だった.
次の駅に着くと駅弁売りが窓から駅弁を売った.そんな私の人生の一日はとても充実していたものだ.
今,確かに新幹線は速い。そして清潔でもある。でも,もう人間を乗せる列車では無くなった。機械か奴隷か家畜なら「のぞみ」にのっても似合うだろうが,人間の乗り物ではない.
そういえば,トルストイの言葉を思い出す。
「最近,汽車というものができてA地点からB地点に行く時間が短くなった.でも,それで人生の時間が長くなったわけではない」
さすがトルストイと感心するが,さらに文明の利器は人間に辛く当たるようになっている。
「最近,新幹線というものができてA地点からB地点に行く時間は極端に短くなった.でも,その時間は箱に詰められ,眠らされ,私はそれだけ人生の時間を失っている」
かつて,ゆっくりと過ぎていた時間は速くなり,今はあっという間に人生が終わる。列車の速度が速くなると,人生は短くなる。
(平成21年6月29日 執筆)