この頃,社会が複雑になってきて,誰か分からない人(多くは匿名)で他人の著述内容に反論する.反論すること自体は大変,良いことだが,その反論が間違っていると一般の人が迷う.
そして,そんなときの特徴は,第一に匿名であること,第二に必ず人格攻撃が一緒になっていることだ.本来,科学的なことは人格とは関係が無いので,事実だけをキチンと反論すれば良いのに,反論に間違いがあることを本人も薄々,感じているのだろう。だいたいは,人格攻撃を伴っている。
10年ほど前,「リサイクルしてはいけない」と言う本を出したら,当時の東大教授が「武田は売名だ」と批判した.リサイクルが良いならそれを反論すれば良い.最近ではハイブリッドカーの私のコメントに「技術オンチ」ときた。まったく困ったものだ.
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ところで,前置きが長くなったが,私が「レジ袋に使う石油の成分は余り物だった」と書いたら,「レジ袋はナフサから作られていて,石油成分の中でも大切なものだ」という反論が掲載されたらしい.そのような問い合わせが多い。
この場合は,両方正しい。だから,本来は反論の必要もないが,反論した方は少し錯覚したのだろう。
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石油製品というのは地下から真っ黒でドロドロした原油をくみ上げてきて精製してできる.なにしろ原油は大昔の生物の死骸だから,人間に必要なものを満遍なく提供してくれる訳ではない.
人間は何とかして掘り出した原油を全部,有効に使おうとしてもがくが,技術は少しずつしか進まないので,開発の途上は余り物がでる.
たとえば,今では多くの日本人が使っているプロパンガスも,石油の余り物で捨てていたものだが,今では重宝で,値段も高い.
全体として石油の製品を見ると,人間は,あまりドロドロしたアスファルトのようなものもあまりいらないし,かといってメタンのようなガスもそれほどはいらない.ちょうど,中間的なものが欲しい.それがナフサである.
だから,私を批判している人が「ナフサは大切なものだ」というのは正しい.
ところが,ナフサもそのままでは使えず,精製する。その時にできるもので,あまり気味のものと,足りないものがある.ナフサの分解物も「膨大な種類のもの」なのである.
スーパーが出現して,対面販売が無くなり,その代わりに万引きで苦しんでいた頃,まだ石油化学は十分に発達していなかった.ナフサを分解してできるもののうち,BTX成分と言われる芳香族のものは需要が多く,大切だった.
でも,エチレン,プロピレン,ブテンのようなオレフィン類はまだ用途が広がらずにあまり気味だった.私が若い頃,オレフィンの用途開発で各社がしのぎを削ったものだ.
レジ袋やポリ袋はポリエチレンでできている。その前は「ビニール袋」と呼ばれてポリ塩化ビニルなどが使われていた.時代,時代で技術ができ,社会が変わり様相は変化する。
レジ袋が登場したときにはポリエチレンは余っていた.余っているとなぜ困るかというと,牛肉を思い出せば分かる。
ウシを一頭,屠殺しても高い「霜降り」だけが売れると,安い肉の部分が余って困る.牛肉なら冷凍しておいておけるが,もし冷凍ができなければ,捨て値で売らなければならない.
つまり,一つのものから多数の商品ができる場合は,売れないものは捨て値になる.それが当時の「ポリエチレン」だった.だからただ同然だった.
当時,私の知り合いにポリエチレン製造工場の課長がいたが,彼が「需要が無いのだから,しかたがないが,スーパーに行くと自分たちがあれほど苦労して作ったものがタダで配られているのを見ると悲しい。しかたがないけれど」と言っていたのを想い出す。
でも,人間の知恵は優れていて,それから20年も経つと,オレフィン類も用途が開けてくる。プロピレンは優れた材料になって自動車のバンパーなどに使われるようになる.
今ではさすがのポリエチレンも用途が開けてきた.だから,「スーパーができた頃は余り物だったポリエチレンも今ではまあまあのものになってきた」と言うことだ.
だから,「ポリエチレンはナフサからできる」,「ナフサは貴重である」,「ポリエチレンは余り物だった」はすべて正しい.また「エコバッグに使用しているポリエステルは石油製品のうちではもっとも貴重なものだ」も正しい.そしてすべては矛盾していない.
なぜ,タダで配るレジ袋にポリエチレンが使われたのかというと,ポリエチレンがだぶついていて値段が安かったからだ.なぜ,エコバッグをタダで配らないのかというとポリエステルが貴重で,高いからだ.
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現代の日本はあまり自分の頭で因果関係を考えずに,「テレビが言った」とか「お役所が言った」ということだけで行動する人が多くなったように思う。
言葉は悪いが,このような現象を私は「日本人の総家畜化計画」と呼んでいる.どんなものでも,正確に知識を伝達し,それに基づいて一人一人が良く自分の頭で考えることが明日の日本を作るための大切なことだと思う.
それに必要なことは事実を語り合うことであり,それが違えば,「人」を批判するのではなく,「事実」を解説すること,そして「匿名」ではないこと,さらに「面と向かってはっきり言えること」である.
事実を述べるのに逃げ隠れしなくても良いからだ.もし,私に反論している人が本名と連絡先を教えてくれたら,私は連絡したい.そして話し合えばより正確に事実を多くの人に伝えられるだろう。
(平成21年6月26日 執筆)