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なんと大洋の美しいことよ!なんと大空の澄んでいることか!点のような太陽!

何事が起ころうと、この瞬間、生きていることでたくさんだ。
                                                      (有名な台詞)

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人生にあまり強い目標を置かず,毎日を良い日で過ごすことにしている人にとっては,「本当にそうだな」と思う言葉である。

すばらしい瞬間を経験する・・・そんな素晴らしいことはない。

人生は長い時間が必要なのではなく,その人の人生は,ある瞬間に凝縮して,それが人生のすべてであるときがある.

「ああ,俺は幸福だ.こんな瞬間を体験できるのだから!」と感激し,酔いしれ,その思い出で一生を生きることができる.

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でも,この台詞を残した人は人一倍の強い目標をもって,それに邁進し,命をかけてそれに望み,その結果として感激を味わったのだ.

だから「感激するためには,厳しい目標が必要である」とも言える。同じ景色でも,苦労した後の景色と,ダラッとしている時に見る景色とは違って見える。

心に響くためには「苦労しなければならない」という事が人間の辛いところだ.楽して感激を味わいたいがそうはいかない.

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ところで,この人は目標を達し,栄光を手に入れた.それは世界中の誰もが見てもうらやむ人生だったが,まもなくして失意のどん底に突き落とされる程の不幸に遭う。

私はこの台詞に接したとき,その人の人生を思い出し,「ああ,人間とは辻褄が合っているのかも知れない.幸福は不幸をもたらし,不幸は幸福につながる・・・」と感じた.

人間の一生はそれほど短くはない.良いときもあれば悪いときもある.平均するとそれほど良くもないし,悪くもない.だから,私は良いことがあると,悪いことを覚悟する.

「しかたがない.たまたま幸運に恵まれて良いことがあったが,かならずこの幸福を打ち消す程度の不幸は来るだろう。その時にめげないようにしよう.あのときに幸福だったのだから,このぐらいはしかたがないと,そう思おう」

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自分一人の人生ならそうである.でも,世の中には幸運に恵まれる人もいれば,不幸に苦しむ人もいる.でも,世の中を平均すれば,ちょうど中間だろう。

というのは,私たちが「幸福」とか「不幸」と思うのは,なにか「標準的」ということと比較しているからだ.日本人の平均寿命が25才なら,30才まで生きれば幸福だろうし,平均寿命が200才なら100才でも不幸かも知れない.

私は思う。

自分が不幸なら,その分,だれかが幸福だ.自分が幸福なら,その分,誰かが不幸だ.自分も含めてすべての人の平均が幸福を決めるのだから,自分が幸福になることは他人を不幸にすることだ.

(平成21615日 執筆)