実に面白いことだ.ある時にWikipediaというネットの百科事典のようなところに「武田邦彦」という項目ができた.

自分のことが百科事典にでるというのは名誉なことだが,このWikipediaというのはネットの百科事典なので,出版社がだすものと違い,「事実が記載されているか」という事にはあまり重点を置いてないらしい.

一度,Wikipediaに「記載事項が正確では無い」と連絡したら,「Wikipediaの規則に則って修正を申し出ろ!」と居丈高に出てきた.

確かに,「力を持っている集団が,個人を痛めつける」ということは人間の性として良くあることだ.

この話を多くの人にしたら「えっ!個人のWikipediaはその人の了解は得ていないのですか? 事実を確認していないのですかっ?」とビックリしていた.

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ところで,ここではWikipedia自身にはあまり興味はなく,私の記事を書いている人に興味がある.私は最初,一読して自分のWikipediaを書いた人は「かなり知識がある人だな」と思った.

そこで,それほど知識があるなら,別に「匿名」で「客観性を装って」,Wikipediaという百科事典を使って持説を発表しなくても良いのではないかと考え,

「無礼者,名を名乗れっ!」

と呼び掛けたが,返事は無かった.

もしかすると,日本人ではないかも知れない.日本人にこのぐらいの知識があって,匿名で隠れて学問的なことを誹謗中傷する人はいないだろうからである。

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ところで,最近,あることで文章を読んでいたら,まるで私のWikipediaと同じ文章が出てきた.「なるほど」とニヤリとしたものだが,だんだん,執筆者が明らかになってくるのはとても楽しみだ.

この執筆者には,いろいろ特長があるが,その一つに,

「南極については、IPCCの第四次報告書[12]では、南極の氷は減っており、海面上昇に寄与しているとしている。南極の氷が増えるという主張は「前著では、第4次報告書が発表されていなかったため第3次報告書を使用している」[6]ことによるとする。しかし、棚氷の崩落による氷床流出量の増加は、第4次評価報告書が出る前に報告されているので、最新の研究を参照していないことになる。さらに、第4次評価報告書が出て以降も、同報告書の将来予測の、南極の氷床が増加するとの一部の記述のみを引用し、それ以降に「しかし」と続く力学的流出量の増加に触れない恣意的引用がみられる[13]。南極が全てマイナス数十度であるかのような主張も誤りであり、気温が比較的高い部分は氷が解ける。」

の記述に見られるように,使用する用語が難しいことだ.

たとえば,ここでは,「棚氷の崩落」,「氷床流出量」,「力学的流出量」,「恣意的引用」などが使われ,このような用語を短い文章の中で使用する人たちの数はそれほど多くない.

また,客観性を装っているが,実に巧みに私を批判するように事実を歪曲している。知らない人を騙すにはこの手法が良いのだろう.

たとえば,「最新の研究を参照していない」というのは,私の金属学会誌の投稿を知りながら,普通の人が学会誌を読まないことを計算に入れて誹謗しているし,もちろん金属学会誌は引用していない.

また,書いているうちに「武田憎し」の感情的が高ぶるのだろう.このWikipediaを書くぐらいの知性があれば矛盾に気がつかないことも書かれている。

たとえば,最後のところに,「南極が全てマイナス数十度であるかのような主張も誤りであり、気温が比較的高い部分は氷が解ける。」とあるが,面白い錯誤が見られる.

「南極の気温が低い」というのは「主張」ではなく「事実認識」である.この執筆者はその論理性から,事実認識と主張の区別はついているが,これも読者の錯覚をよぶ独特の文章である.

また,「気温が比較的高い部分は氷が解ける」ことは当然で,南極大陸が無限に拡大せずに現在の形を保っているのは「比較的高い部分で氷が融けている」からであり,私の著書やネットに繰り返し出てくるが,それは完全に無視している。

この執筆者にとっては「事実」はどうでも良いからだ.この執筆者はどのようにして事実を曲げて,科学を個人の誹謗に転換するかが仕事だからだ.

なお,私が使う「融ける」という字と,この執筆者の使う「解ける」という字の違いも面白い.人というのは案外,簡単なところで馬脚を現すものだ.

次に,「環境白書の記述では、「気温の上昇は、海水の膨張、極地及び高山地の氷の融解を引き起こし、その結果として海面の上昇を招きます」[15]とある。明日香らが「「極地」という言葉を正確に把握する限りにおいて、極地の氷が海面上昇に与えるプラスの影響に関するIPCC と環境省との見解に齟齬はない」[2]とするように、誤訳ではない。」とある.

この文章も執筆者の特定に役に立つ。というのは,私と東北大学の明日香教授の記述とどちらが正しいかという論拠を示さずに,「明日香教授の記述が正しいと仮定すれば」ということで進めている。この記述は,やがてこの執筆者が多くの人の前に顔を見せたとき,とても面白いことになるだろう。

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科学の大衆化は望ましいことであり,だれもが自由闊達に科学を語ることができる社会は健全だ。

でも,科学とは匿名で言うような対象ではない.つまり,科学は利権や名誉などに関係ない,単なる自然現象に対する興味だからだ.

でも,科学が大衆化すると,科学的知識だけをもち,品性賤しい人も参画し,このWikipediaのような現象が表れる。

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私はかつて,ほとんどの人が理解できないような難しい英語の論文をもった学生が,人間としてしてはならないことをしたとき,その学生を厳しく叱責した.

「君は,これほど難しい論文を理解することができるのに,小学生でも悪いということが分かっていることをするのか.それなら,大学院をやめなさい.この社会でもっとも困るのは,「力があって,心が賤しい人だから」」

と言ったことを思い出す。

「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」・・・・・・次にはもう少し人物の特定ができる記事を出していきたい.

(平成21614日 執筆)