私は喫煙については寛容だ.その一つの理由は「タバコを吸っている人がいる」という事実であり,その人たちは見識もあり,人格もわたしより高く,立派な人もいる.
それなのに,禁煙を勧めるためには「現に喫煙している人より,自分の方が正しい」と言わなければならず,それには自信が無い.
自信がないのは,タバコを吸っている人に控えて貰うだけの理由がハッキリしないからだ.「タバコは悪い。悪いものはわるい・・・そういう気分から言えば,こういう理由もある」という論理は感心しない.むしろ「タバコは良いと思うが,・・・という理由があるから禁煙した方がよい」というぐらいでないと,循環論法に陥る。
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禁煙運動はまず「タバコを吸うと肺がんになる」という理由からはじまった.
もし,禁煙運動が「喫煙者」の団体から起こったのなら,この理由は成立する。喫煙者自らが反省して自分の健康を守ろうとするのだから,納得できる。
でも,どうもそうではなかった.タバコを吸わない人が「タバコがイヤだから理由をつけた」という感じがしたからだ.
自分を反省してみると,あまり優等生ではない.社会のために日本国民のためにもっと勉強すべきだったと怒られれば,そうかも知れない.私は小学校から大学まで,区立,都立,国立で学んできた.ということは税金で援助してもらって勉学をしてきたが,それほど真面目だったか?と疑問を感じる。
長じて,仕事でもそれほど社会に役立たなかった.そして,私が満員電車に乗ると,それだけ電車は混むし,私が生きていれば資源も使い,ゴミもだす。
だから,他人が「タバコを吸っていて,本人が肺がんになりやすい」というだけでは「禁煙しなさい」と注意しにくいのだ.
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しばらくして,「タバコは本人ばかりではなく,一緒に生活をしている人が肺がんになる」との報告があり,早速,調べて見た.
職業上,テレビで言ったからその通りに他人に言うということもできず,最初,まだヨーロッパで研究しているときに論文を読んだら,「タバコを吸う人に対して,タバコを吸う人と生活を共にする人の発癌の確率は40分の1」ということだった.
それなら禁煙を勧めるには少し弱いと思った.この世には「他人に迷惑をかける」という行為は多い.
私が一番,社会に迷惑をかけているというと,それは自動車を運転することだ.ガソリンは使う,道路は占有する,鉄鋼は使う,プラスチックも結構使う。
それだけではない.なにしろ一年に120万人も交通事故で負傷する。日本人100人に1人という高率だ。
「あなたは偉そうなことを言っているが,なんで車を運転しているのだ!」と怒鳴られたら返す言葉がない.ただひたすら「自動車がないと買い物も,通勤も不便なので・・・・」と訳の分からない言い訳をしなければならない.
「買い物?通勤?そんなの歩けばいいじゃないか! 人がケガをするんだぞ.それが較べられないのかっ!おたんこなすっ!」と叱られる。返す言葉もない.
だから,禁煙運動をするには車を運転するのを止めなければならない.
私はお酒を飲む。
飲酒運転はしないけれど,私と同じように飲酒をして人にケガをさせたり,時には幼い命を奪う人がいる.「私は飲酒運転しないから,お酒は良い」とも言えない.
それならタバコの方も,「私は人の近くでは吸いません」と言われれば,それももっともだ.物理化学者としての私は「屋外でタバコを吸って他人の健康に影響をあたえることはない」というぐらいの計算はできる.だから注意できない.
だから,禁煙運動に加わるためにはお酒をあきらめなければならない.
私は自分ができないことは人に言わないのが主義だ.
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社会にどの程度の迷惑をかけるものが社会では禁止されるのだろうか? その基準を自分で決めることはできず,自動車の運転やお酒(嗜好品)などと比較しなければならない.それを考えると私はタバコに寛容になってしまう。
最後にもうひとつある。
私はこのコメントを書く前に,知識が足りないのかと思ってネットを見たり,「タバコの害」というがんセンターの先生の講演を聴いた.そして大変,ガッカリした.
その講演では「タバコを吸うと肺がんの可能性が増える」という研究データを多く示していただいた.でも,「タバコを吸うのが本人の健康にとってどうか」という説明は無かった.
タバコを吸う人の人生は「肺がん」だけではない.ストレスはガンの発生の一つの大きな要因になるし,人間は精神的な存在なので,嗜好品の重要性もある.人間は「ただ食べて寝て人生を送る存在」ではない.
まだ,スッキリしない。なぜ禁煙運動が存在するのだろうか?
(平成21年6月7日 執筆)