イエス・キリストの生誕,聖母マリア,皇帝と神との関係,受難の意味,パウロの活動,迫害,三位一体,中世ヨーロッパのキリスト教,宗教革命・・・そのすべてを私はかなりの正確さで語ることができる.
これは中東からヨーロッパのことだ.
イザナミ・イザナギ,国つくり,天照大神,天の岩戸,素箋鳴尊,鳥居の鳥と朱色・・・私はその多くをおっかなびっくりで話し,質問には答えられない。日本製の漢字変換ソフトは「素箋鳴尊」を変換してくれない.
私は日本人である。
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日本の神社はこんもりとした森の中に、ひっそりと鎮まっている。よく「社」(やしろ)と言うが、この文字は、「杜」(もり)から来たと言われ、神社とは「神の杜」でもある。
古来の日本人は、木や森、山そのものに神が降りると信じていたので、その自然崇拝の心をそのまま継承したのだろう。
もともとの日本人の神は、一神教に多く見られるように形を持つ神ではなく、目に見えないもののようだ。いわゆる「御神体」と言われるものがあるが、それは神そのものではなく、御霊代(みたましろ=代理)のことで、神が乗り移るための単なる物質である。
つまり、「依代」(よりしろ)で、神様そのものではない。
そうなると「神様ではないが、神様と接する神聖なもの」を準備する必要があり、その一つが最近,あまり評判が良くない「大麻」でできた仮想的なものだった。
つまり、大麻は「依代」として神社で使用され、大麻自体は植物だから実体はあるけれど、同時に精神的には「依代」だった。
日本の神々には、さまざまな働きがあったが,それを整理してみると複数の働きがある。つまり「神社」の機能は、
1、荒霊(アラミタマ・荒々しい気)
2、和霊(ニギミタマ・和々しい気)
3、奇霊(クシミタマ・奇跡を起こすような気)
という三つ,または幸霊(サチミタマ)をいれて四つの神の働きである.
それらは,時には祓い、時には降ろし、また遊ばせるようにし、それぞれの「気」を人に災いが降り注ぐことなく、寧ろよい「気」と変容させるために諫め、高めることである.
その際によく使われる素材は「大麻」・「水」・「塩」・「酒」だ。いずれも日本文化には欠かせない大切な材料ということになる.
たとえば“祓う”時には大麻を幣、礼服、注連縄として使い、“降ろす”時には幣を依代として、さらに“遊ばせる”時には鈴縄などがそれにあたる。
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このように日本文化を書くと,それは遠い遠いことのように感じられ,まるで他の国のおとぎ話のようだ.
良く外国に行って,日本の歴史のことを聞かれて話すことができず恥ずかしい思いをしたという体験談を聞く。
「あなたの国はイザナギという神様がおられると聞きましたが,男神ですか?女神ですか?」
「・・・・・・・・・」
国際化が進んだ今,ことさら日本を強調する必要もないが,それでも自らの立つ位置を定めるためには自分の国の神話,国が誕生した物語,古い歴史はまさにその国民の基礎中の基礎の教養なのだろう.
日本が独立するためには,自虐趣味を捨て(日本人としての誇りを持ち),自らの神話と歴史に熟知することだ。
神社のことを語れば,多くの日本人がそれを話題にすることができる日,それもまた日本が独立する一つの過程である。
(平成21年6月3日 執筆)