日本人はよく反省する。それは良い性質で,そのことによって優れた文化や軍事力を身につけてきた.でも,それは得てして自虐趣味に流れる。
ダイオキシン騒ぎの時に,「ベトナム戦争の時に,アメリカ軍によって枯れ葉剤がまかれた.その中に入っているダイオキシンでベトナム国土は汚染された.」と言われた。
そしてそのダイオキシンの影響(誤報だが)で,体がつながった可哀相なベトちゃんドクちゃんが生まれたと日本のマスメディアは大きく報道し,「ダイオキシンの毒性」と「可哀相」が日本を覆った(繰り返すが,ダイオキシンの患者ではない)。
次のグラフを見て欲しい.ベトナムの主要都市で観測されたダイオキシンと,当時の日本の水田にあったダイオキシン量の比較だ.
グラフの下にひときわ長い棒がある.それが日本のダイオキシン濃度で,ベトナムの各都市より圧倒的に多かったことが分かる。
これほど日本の水田にダイオキシンがあっても,日本の子供は「可哀相」ではないのか.大人はともかく,子供は成長する。その時に世界でもっとも「汚染されたコメ」を食べていたのに,マスメディアはベトナムの子供を「可哀相」と言い,イタリアのセベソ(ダイオキシンの事故があったところ)を題材にして「セベソの夏」という映画を作り,それが文部科学省の指定になった.
世界で一番,ダイオキシンが多かった日本。それなのに,日本人の大人は日本人の子供を心配するのではなく,イタリアやベトナムの子供を心配した.
偉いと言えば偉いが,バカといえばバカと言える。日本の大人は無責任だと言えば無責任だ.もちろん,人類は皆,兄弟だから世界の人が健康であることが大切だが,「自分のところがもっとも汚れているのに,他人のところを心配する」という神経もかなりのものである.
私はこれを「独立していない日本」と捉える。自分というものが雲の上にいて,いつもフワフワし,足場がない。だから平衡感覚を失って,とんでもない感覚を持っている。
でも,それで甘んじていてはいけない.明治維新以来,約150年。そろそろ私たちは独立したいものだ.
(平成21年6月1日 執筆)