深刻な話で恐縮だが,私は「原子爆弾を人のいるところに投下した科学者」というのがいた事,そのものが信じられない.この問いは科学者の間では深刻な問題だ.

現在でも,世界で原子爆弾が2万5千発もあること自体が,信じられない.事実ではあるが,それが現実とは信じられない.

なぜなら,科学者は,原子爆弾はどのぐらいの熱を出すのか,その熱が人間をどうするのか,それはハッキリと分かるはずだからである。 普通の人は,何erg(エルグ・・・エネルギーの単位)と言っても,イメージがわかないかも知れないが,科学者は分かるはずだ.

それでも,原子爆弾は広島に落ちた。 落ちたのは偶然ではなく,科学者が作り,政治家が落とす決意をし,そして軍人がエノラ・ゲイを操縦したからに他ならない。

そのうち,誰かでも次の写真の中に自分の娘がいたら,投下しただろうか? もし,自分の娘がいたら投下しないというなら,彼は人間ではない.でも原爆投下に関与した人に娘さんがいなかったとは考えられない。

clip_image002(全滅)

原子爆弾を広島に投下するということは「正しかった」.原子爆弾をこの幼い子供たちと先生の頭上に投下するのは「正しかった」のである.

正しくなければ投下しない.この子供たちと先生を殺すことは正しかったのだ.でも,そんなことがあるはずがない。 それは正しいかも知れないが,間違っている。

私は「これをやりなさい!」という人がイヤだ.もっとイヤなのは,他人に「これをやりなさい!」と言って,自分はやっていない人はさらにイヤだ.

地球温暖化を防止しようと叫んで,自分ではCO2を増やしている人はイヤだ.NHKのように自分は80%もCO2を増やしていて,CO2削減を視聴者に呼び掛ける,そんな人は私はイヤだ.生理的にイヤだ.

自分の娘が広島に住んでいたら,原子爆弾を落とさない, 住んでいなければ落とす・・・私はそれがイヤだ.

広島はアメリカ人が広島市に入るのを許している。 なぜだろうか? それは広島市の人が決めることだから,私は意見を言う権利もないが,違和感がある.

私は殺人犯を許すことはできない.裁判で,その殺人犯が「心神喪失」を理由に無罪になろうと,彼を許すことはできない.裁判で無罪になれば社会的には無罪である。でも,わたしの心が許さない。

私はアメリカ人を日本国土に上陸させることは許されないと思う。 1000年も経てば許せるかも知れないが,原子爆弾が落とされてからわずか60年。 私の心の傷は癒えていない。

アメリカは日本に原子爆弾を投下したことについて,謝罪をしていない.そればかりか東京裁判で日本の指導者を絞首刑にした.

アメリカと仲良くしていればお金はくれるかも知れない.でも,お金は人生を不幸にはしても幸福にはしない.それより何より,父母を守り,子孫を守ろうと思ってアメリカ軍と戦って死んでいった人,広島で命を落とした小学生・・・

殺人犯は無罪かも知れない.けれども,私はこの日本の国土の上で,その人たちと,一晩たりとも一緒の国土に寝ることは出来ない.

(平成21330日 執筆)