経済がグローバリゼーションするのは,通信速度や金融制度の変化で必然的に起こることだが,それに対して日本の指導者(政治家,社長)がすることは,経済のグローバリゼーションによって起こる巨大な影響をいかにして緩和するかということだ.
今回の金融危機も,アメリカのサブプライム問題という日本のコントロールできないことによって,日本経済自体が壊滅的な永久を受け,多くの庶民が苦しんでいる。
政治や経済は,国民を苦しめるために存在するのではない.もし,日本人が独立し,外国の購買力にあまり期待せず,地道に生活を送れば,一生を幸福に送ることが出来るのに,日本の指導者が不完全だから,こんなことが起こる。
経済のグローバリゼーションで日本の指導層がするべきなのは,グローバル経済の中で日本をどう守るかということだ.
最近,ある大学が「環境先進大学」と言っているので,その活動内容を見ると「学内のレジ袋の追放が今後,どのようになるかが課題です」とあった.これでは,大学ではないし,指導者は育たない.
温暖化もいろいろな環境問題も環境のグローバリゼーションである。それは仕方がないことだが,指導者が考えるのは,いかにして日本を環境破壊から守ることだ.もしレジ袋の追放がその役割を果たすなら,論理的に節実が必要である.
完全な「家畜化現象」である.
どんな簡単なことでも,まったく自分の頭が動かない。 大学でもそうなのだから,日本全体の政治や経済で,中枢部が頭を巡らす可能性はほとんど期待できない.
その原因は,私は「日本が独立していないから」と思う。 なんでもアメリカ,何でもドイツではどうにもならない.
京都議定書にアメリカが入らない時には「アメリカはバカだ」と言い,「グリーン/ニューディール政策」と言うのが出てくると,一斉に追従する。
「なんでリサイクルが良いのですが?」と聞くと「ドイツがやっている」と言う。 「なんで風力発電なのですか?」と聞くと.「ヒットラーは素晴らしい」と答える.
なんと言うことだろうか?
自分の頭を働かせず,長い歴史の動き,社会の進歩,人間に対する洞察,科学の本質,そして何よりも自分を捨てることが出来ない人は大学に来て欲しくない.
考えられない人が大学にいると,次世代の学生がまた考えられなくなる.
(平成21年3月23日 執筆)