「経済のグローバリゼーション」というのは,「経済がグローバリゼーション」する事だが,日本の経営者にとっては違う話だったはずだ.
経営者にとって会社を守り,日本では従業員の生活を守ることはとても大切なことだ.アメリカ式の経営が「従業員は家畜並」であるかも知れないが,日本の経営は「従業員に感謝しながら経営する」というものだからだ.
経済のグローバリゼーションで経営者が最も注意する必要があるのは,「グローバリゼーションによる大変動をいかにして回避するか」と言うことに他ならない.
つまり,「グローバリゼーション」というのは一つの現象であり,それが起こるのは世界の発展段階として必然的なのだが,それによって経済の活動はよりダイナミックになり,2008年に起こったアメリカの金融崩壊のように,アメリカの経済の崩壊がたちまち世界中に影響をあたえると言うことを意味する.
これまで,国はそれぞれで独立し,民主主義であれ,君主政治であれ,国民や王が選択をした制度やシステムで運営されていた.だから「自分で決定できるものについて自分で責任を持つ」ということだったのだ.
ところが,アメリカのサブプライムなどは全く日本人の権利が届かない.それなのにその被害だけを受ける,そう言う時代が「グローバリゼーション」の時代なのである.
・・・・それを考えた上で,2008年の金融崩壊以来の日本の産業界を垣間見てみよう・・・
金融が崩壊してまもなく,経団連の会長を出しているキヤノンが大幅な解雇をした,大分県では民心の安定のために,公営住宅をキヤノンの元社員に提供しなければならなくなった.
私はこのニュースを聞いて,驚愕し,また失望したものだ.キヤノン」「^@¥」¥と言えば日本の優良会社中の優良会社で,だからこそ,経団連の会長を出している.
また,グローバリゼーションという意味でもトップで,その意味(経済が国際化するに伴い,危険が増大する)こともまた十分に承知していただろう。そこが,貧困な地方自治体に救いを求めるような経営をしたのだから,産業界を比較的高く買ってきた私にとってはショックだったのだ.
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2009年3月17日の下野新聞の一面には「苦境のシャープを支援,液晶テレビ購入に助成金」というニュースが載っていた.
矢板市はシャープを支援するために,液晶テレビを購入する人に対して一台5万円を限度に10-15%を補助することを発表,総額は1000万円だという。
シャープと言えば,液晶,太陽電池などで常に先進技術で勝負してきた,これも日本有数の製造会社である.それが,金融崩壊から半年後に,自治体の支援を受けるというのだから,これも驚く。
もちろん,矢板市側にも思惑はあるだろう。それも透けて見えるが,あえて真正面からこの二つの事実を見ると,果たして日本の経営者がグローバリゼーションというのをどのように解釈していたのかと考えざるを得ない.
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地球温暖化万能時代である.
地球温暖化こそ,「環境のグローバリゼーション」の時代を象徴しているが,これに対して,「日本をどう守るか?」はほとんど議論されていない.
ホッキョクグマが問題かも知れないし,都市部の桜の開花日が早くなるのも問題かも知れない.でも,そんなことは「日本はどういう被害を受けるのか?」と言うことに較べると,些末なことだ.
つまり,環境のグローバリゼーションというのは,「世界の環境がグローバリゼーションするにあたって,日本はどのような環境政策を進めなければならないのか」ということであり,決して,「世界の環境を考える」とか「地球に優しい」と言うことではない.
日本は世界のCO2の排出量の5%以下しか出していないし,到底,温暖化というグローバル現象に影響をあたえる立場にはない.それはアメリカのサブプライム崩壊と同じである.
ならば,グローバル環境に対して,日本はどうするのか? 著者は,「日本の温暖化対策はCO2を削減することではなく,温暖化によってもたらされる被害が予想されるなら,それに対する防御を最優先すべきだ」という考えだ.
だから,「何が被害になるか」と考え,現在のところ,私には「生命財産」に影響がでるような被害はなく,むしろ,海に囲まれて海洋性気候の日本に取っては良いことの方が多いように思う。
温暖化は金融崩壊と無縁ではない.指導的立場にある人がそれに気がつくか,金融崩壊を他山の石に出来るかが問われている。
(平成21年3月17日 執筆)