選挙がいつになるかと固唾をのんでいたところ,突然,「選挙があったら首相もあるのではないか」と思われていた小沢民主党代表の秘書が逮捕された.
事の次第ではなく,「検察の役割」について,考えるところがある.
現代の日本には,「職務以外のことを配慮してはいけない任務」を持った人がいる.たとえば,報道,学者,司法,医師,宗教家などだ.報道は「事実」を,学者は「真実」を,司法は「法(正義)」を,医師は「命」を,宗教家は「神」を最高のものとしてあがめ,それ以外のことは目に入らないという状態でなければならない.
報道が政府に配慮したり,自分の意見で事実を曲げてはいけない。 もしそんなことがあったら,報道の自由,表現の自由を放棄しなければならない.だからNHKは報道機関では無い。
学者が世論に配慮したり,利害を考えてはいけない。 もしそんなことがあったら,学問の自由を放棄しなければならない.だから,何かに配慮して研究発表を制限する人は学者ではない。
司法は,法の番人である。 法に背いていたら逮捕しなければならない.そうしないと法の独立は守れない.
でも,今回の逮捕劇を検察の独立という点で若干,疑われている.検察の人に言わせれば,言われ無き批判だろうが,司法全体では疑わしいところがあるからだ.
日本の刑事裁判の有罪率が異常に高かったり,国を被告とする裁判では「弁護人が裁判官」だったり,特定の事件で裁判官が国よりの判決をしたりする例が多いからだ.
もしかすると検察より,裁判官に問題があるような気がする。 沖縄返還の西山事件における判決のように,裁判官の不当な判決が司法への信頼感を失わせているのだろう。
一つの逮捕だけで「司法は独立だ」と強弁しても納得性がない.普段から透明性が高く,公平であることが国民の目から見て,見えなければならないからだ.
この事件が起こって,国民としての期待は「法と正義が通り,国民が信頼できる司法になって欲しい」と言うことで,マスメディアもそれを議論して欲しい。
信頼できる報道,研究結果をそのまま発表する学者,政治に関係なく法を守ってくれる司法・・・それは日本国民の宝だ。
お金がなくても政治に熱意のある政治家はいないものだろうか?
(平成21年3月5日 執筆)