数年前から,大学,文部科学省は「博士号のお礼」に対して,突如として厳しい制限を設け,あるいは根絶を目指して指導しているように見える。

直接的には,名古屋市立大学の教授が博士号の審査に当たって謝礼を貰ったことが贈収賄に相当するとして逮捕,すでに2008年7月8日,名古屋地裁はこの教授に贈収賄で有罪判決を受けている。

この事件に対して,大学,文部科学省,マスメディアはそろって「有罪が当然だ」という見解である。ほとんど批判的な記事はでない.

この問題について,ここで取り上げてみたい.取り上げる意図は「微妙で難しい問題の議論を避ける「事なかれ主義」の日本から,明治維新のように少し「青臭い」と思われても,一つ一つのことをしっかりと議論する風潮が大切と思うからだ.

まず,2009年2月5日の朝日新聞朝刊33面に載った「東京医大謝礼 文科省通知後も現金」という記事を参考にしたい.

この記事には「ある医局員は「学位授与の連絡を受けた後,10万円の入ったのし袋を,菓子箱と一緒に風呂敷で包んで教授に手渡した」」とある.

私は大学教授としてこのような経験はないが,私が60年以上,日本と言うところに住み,日本の文化や伝統の中で暮らした経験から言えば,何が問題なのか分からない.

「お世話になったらお礼をする」というのは普通の日本の文化で,やや古いかも知れないが,あまりに事務的,契約的に進むより,このような日本文化の方が遙かに優れている可能性が高い。

それに,「最近の子供は感謝の心がない」とよく言われることもあり,私自身も常々,「やってくれて当然だ」と反っくり返る学生に「お世話になったら感謝しなさい。できればそれを形にして示しなさい」と教えてすらいる.

世のお母さんの多くが,少し大きくなった子供が,何かの世話になったら,「チャンとお礼した.これも持って行きなさい。良くよくお礼を言うのよ!」と言っているだろう。

問題は二つある。

一つは,お世話になった時に,そのお礼として,「現金」,「菓子折」,「その額」などとはまったく関係なく,「お礼」そのものが否定されるのか?ということである.

そして第二に,これが私の言いたいことなのだが,この問題でなぜ「文部科学省」がでてくるのかと言うことであり,朝日新聞というリベラルな新聞が「文科省通知後も」というように,大学が文科省の指導に従う必要があるという前提で記事を書いたかということだ.

一つ目の問題については,これからすこしずつ考えていくことにしたい.何でも合理的なアメリカ風が良いのか,一見矛盾しているように見えて,その中に深い社会性を持った日本風が良いのかについては容易に結論が出ないからだ.

第二の問題は私には明らかに記事が間違っていると思う.大学というのはもともと文科省の上にある.文科省は単なる事務局であり,教育の実態を指導する立場にはない。

なぜなら,大学の教授は厳しい論文や業績の審査を受け,大学教育をする資格があることを教授会で認められた人である。それに対して,文科省の役人は国家公務員試験に合格しただけである。

それに教授会は長年教育に携わってきた人の集合体であるが,文科省は単なる事務をやってきた人で,教育経験はほとんど無い.

文科省は事務局にすぎない。その事務局が「通知の後も授受が続いていたことに,遺憾としか言いようがない」と言うのは,職権乱用である。

この問題は,「博士の教育にとって,博士号授与の後に学生からのお礼を受け取るのは教育上,適切か」という問題であり,各大学が必要に応じて議論する問題である。また名古屋市立大学の場合は「公立」であるという建前であるが,大学教員は公務員であっても,特別な権利を有している。

その権利というのは「学問や教育の自由」である.「博士号のお礼と自由が関係あるのか!」と早合点しないで欲しい.大学の教育,待遇,研究,それらはすべて学問の自由の範囲であり,だからこそ大学には自治が必要で,その自治との見返りとして社会は,不偏不党の教育と,公明正大な学問的情報を大学から得ることができるのである.

不偏不党の教育と,公明正大な学問は近代国家の宝であり,特に第二次世界大戦で大きな痛手を受けた戦後の日本の教育界では,それこそ議論なしに合意できることだったのである.

最近,報道の自由も崩れ,学問の自由も崩れかけているが,朝日新聞がこのような記事を出したのは,まさにそのことを示していると強く感じられる。

大学人,これをこのままにしておいて良いのだろうか? ことの内容がお金なので,容易には世間が理解しないだろうが,大学こそが議論しなければならない。

ところで私が一番,言いたいのは「大学でも文科省に指導されないとやらない」というなら,にほんでは「民」が自分で判断することは絶望のように思われるからだ.

なんでもかんでも「官」に決めて貰わないと自分たちでは判断できないのでは,民主主義が発展しないのも無理がないような気がする.

大学の教授会は自らこの問題を議論し,「お礼を貰うべきか,それとも断るべきか」を警察の捜査や文科省の指導ではなく,自分たちの考えとして行動して欲しい。

(平成2126日 執筆)