苦しい家計の中をやりくりして長い間、年金を納め、それで豊かな老後の生活を送ろうと夢見ていた人にとって、2008年もまた,裏切られた年だった.
信頼できるはずの社会保険庁という役所が、記録は紛失するわ、故意に年金を減額して書き換え、支払いを少なくしようとするなど、まったく「普通の人」が社会保険庁にいたのか?といぶかるほどである.
「良いこと」は「闇の温床」を作る。
「豊かな老後」という「良いこと」は、社会保険庁という膨大な公務員組織を作り、そこがお金を吸収して、その結果、「良いこと」への思いは裏切られる。
つまり、人々が小さな夢を持って「良いこと」をしようとするとき、その善意につけこんで闇の空間をつくり、そこに利権を作りだし人たちがいる。それは普通は「インテリ」と言われる頭の良い人だ。
そして、「環境」という「良いこと」も,その絶好のチャンスだった。
誰もが「節約したい」と希望する。だから、リサイクルができれば、それは良いことである。でも、実際にリサイクルをしないで年間4000億円を越える利権を作った。
そしてそれを隠蔽するために、関係協会は、回収率をリサイクル率と発表し、環境省は「どのぐらいリサイクルしているかは調べたことはない。そんな法律はない」と開き直り、省内に飾られていた「リサイクル製品」は実は新品であることがわかるという醜態を演じる。
社会保険庁と環境省は同じ矛盾をかかえる。
さらに、温暖化という問題では年間3兆円が使われる。危険が来るのは100年後。まさに「リアルな環境破壊」ではなく「科学者が創造した環境破壊(創造型環境破壊)」なのである。被害自体が架空だから、防止するのも架空になる。
たとえば、「原子力はCO2を出さないから、温暖化には良いエネルギーです」と言う。原子力発電所のコンクリートは石炭などを使うけれど、「温暖化に貢献できれば、何を言ってもよい」ということになり、それは計算に入れない。
まさに「良いこと」なら「どんな悪いこと」も許されるという論法だ。
でも、庶民がリサイクルに夢を持つのは「物はもう良いから、心を」と言っているだけだ。「創造型環境破壊」など、庶民には関係がない。庶民はまったく別の方を向いた方がよいだろう。
まず、愛する物に囲まれた生活がしたい。
会社の売り上げは減るかも知れないが、私たちは物が欲しいのではない。毎日、明るくストレスがなく、笑い声の絶えない生活がしたいだけだ。
そして,愛する物は捨てることがない。だから結果的に「物を大切にする」ということになるが、順序が違う。心を満足させる生活は結果的に物の節約になるだけだ。
そして、もう一つ、私たちは日本人だ。ヨーロッパ人でもなく茶髪でもない。私たちの体には日本人の血が流れていて、それは私たちに生まれながらに「節約」、そして「してはいけないことはしない」という行動規範を教えてくれる。
それさえあれば、実は「環境」とか「レジ袋」などと言わなくても良い。私たちは世界でただ一つ、「何も呼びかけなくても環境に良い生活が出来る民族」なのである。
(平成20年12月26日 執筆)