日本文化の中で生活をしていると,「犯罪をお金で買う」ということを思い浮かばないのですが,アメリカでは普通のことです.
今から30年ほど前,ビッグ3と言われるアメリカの自動車会社の一つ,伝統あるフォードがピントという名前の小型乗用車を開発して販売しました.
ところが,後部のガソリンタンク付近に設計の間違いがあり,追突されるとガソリンタンクが破裂して火災になり,乗っている人がやけどをしたり,ひどいときには死亡事故になることがわかりました.
事実,発売からまもなくして,追突されたピントが火を噴き,運転手が死亡,同乗者が大やけどを負うという事件が起きたのです.
フォードの社内では事故の原因の検討が行われれ,設計のミスが分かりました.
当時,フォードの自動車安全担当重役は次の内容の書類を作って,結論としていました.
一, もし,事故が起こらないように車両を改善すると130億円の追加費用がかかる.
二, 欠陥のまま売り続けると,火災事故は180件おこると予想され,その事故で死亡したり負傷した人に払うお金は50億円ですむ.
そして,結論は,「人が死んだらお金を払う方が得だ」ということになり,ピントの販売を継続したのです.さらに,専門家の間では,このフォードの検討を「費用便益計算」と表現し,そういう考え方の存在を認め,検討自体はあり得るということになりました.
でも,私は非人間的な言葉であり,そういう計算は不適切ですし,費用と便益などでは考えてはいけないものと思います.つまり.「殺人謀議」と何ら変わりはないからです.
事件が自動車なのでわかりにくいのですが,次のような例を考えてみます.
・・・小学生の通学路を造った土木会社が,工事が終わって検査も通った後,使用した材料の中に強度が不足していたものがあったことがわかった.
このまま放置すると小学生が通学するときに割れて下の川に墜落することも考えられた.しかし,どの材料かが分からないので,もし安全にするなら全部の工事をやり換えなければならない・・・
土木会社の社内で検討した結果,2,3人の児童が死んでも,その保証金の方が安いという計算結果が出たので,そのまま放置したら3人の児童が墜落して死んだ.
「これをすれば,人が死ぬ」を分かっていて放置した場合,法律的にはそれの専門用語もあるし,裁判例もあります.でも,普通の人が普通の常識を持って考えれば,これは殺人と全く変わりはないでしょう.
ところで,人を殺しても監獄に入りたくない場合,お金を払えば殺人罪は消えて出獄できるという法律はどうだろうか?
現在は,賠償金とか罰金というのは「事実が発生してしまったから,事後としては最善の方法をとる」ということで,お金を払ったから罪が無くなる訳ではないけれど,社会が異常になればそんなことも起こるかも知れません.
人の命が対象の時には「費用便益計算」という考え方は危険のように思います.死んだ人,そしてその人を失った家族はお金があれば死んで良いということではないからです.
もしそれが合法なら,保険金目当ての殺人も罪にはなりにくいと思います.
環境という面で,これに近いのが「バイオ・エタノール」です.バイオ・エタノールで人が死ぬかどうか確定していませんが,現在では,「人が食べることができるものしかバイオエタノールにならない」という制約があるので,バイオエタノールを生産するとそれだけ食糧が減るからです.
それに,現在では,飢餓で年間1500万人が死亡しているのですから,飢餓人口が増える可能性はかなり高いでしょう.食糧をお金で買う時代,貧乏な人は食糧を分けてもらえず,ただ死ぬだけなのです.
また古くからの人間の倫理を代えて,「食料を燃料として使う」ことが倫理として許される」かどうかという問題もあります.
その点,食料にならない作物や森林をバイオ燃料として使うのは,少し犯罪性が緩和されますが,それでも実際にその作物の作付けのために食料が減ることも考えられます.
いずれにしても,「お金と命の交換」という問題がそこにあり,私たちはさらに良く考える必要があります.
(平成20年12月21日 執筆)
(注) フォード社の自動車安全担当取締役が作成した、「衝突事故がもたらす燃料の漏洩と火災による死亡事故」という文書の内容.
(改善費用)販売台数1250万台×改修に要する費用11ドル=約130億円
(社会的利益)死傷者の出る火災180件×(死亡による損失一件あたり20万ドル+負傷による損失一件あたり6.7万ドル)+車両炎上2100台×車両損失700ドル=約50億円
(1ドル100円弱として)