人間の頭脳には,欠点と長所がある.欠点は,事実も見えず,そして未来も見えないことだ.

人間は今,自分が知っていることが事実であり,その知っていることから推論した結論を真実と思う.しかし,歴史の教えるところによると人間の知恵は増大し,変化する.

ということは論理的に言えば,「いま,自分が知っていることは事実のほんの一部であり,もしかすると間違った事実を事実と錯覚している」と考える方が適当だろう.

そんな例はいくらでもある.たとえば,今からわずか1000年前.平安時代には,物が落下するのは悪魔が地下から引っ張るからと(真剣に)思っていた.高いところから落ちるとグシャとつぶれるぐらいの力だ.悪魔に違いない.

その人が不真面目に「悪魔」といったのではない.それが正しいと心のそこから思っていたのだ.

病気になるのは悪霊の仕業と確信していた.病原菌というのはパスツールが鶴首の実験をするまでわからない.病気になると祈祷をしたのだが,本当に助けようと思っていた.仕方がない.

今からたった140年前.当時にドイツの物理学の権威,ヘルムホルツは「なぜ,太陽は光っているのか?」という謎に取り組み,放棄した.まだキュリー夫人がパリに行ってなかったからだ.

彼は学者だったから,「わからないことがある」ということを知っていた.だから「太陽は悪魔がストーブを焚いている」とは言わず,「わからなかった」とした.それが科学者の良心である.

今,環境のことを学生と話すと「これから新しい発明も発見もないだろう」と言う.歴史を無視して,自分が考えることが正しいと錯覚している傲慢な人が多い.若い学生だから,そんな人の影響を受けたのだ.

人類はその誕生から今まで,「イノベーション(新しいことを生み出すこと)」で持続性を保ってきた.決して「節約」で持続性を保ってきたわけではない.

若い人に大切なこと,それは自らの可能性を信じて,夢を持って進むことだ.将来がどうなるかはわからない.今,知らないことが起こるから未来を推定することはできない.ただ,私たちの歴史が教えることは「未来は今より輝かしい」ということだけだ.

私たちの頭脳の素晴らしいところは,見えない未来に夢と希望を持てることだ.もし,夢も希望も持てないしぼんだ脳になった人はその害毒を若い人に吹き込んではいけない.

実は私も歳を取って夢と希望がなくなった.だから,私は未来を若い人に語らない.それがせめてもの良心だ.もう一つ,大切なことは「いい加減」であることを認めることだ.もともと,今の知識は間違っているのだから,私たちには「いい加減」であることをもって排斥する理由にはならない.

大切なのは「誠意」だけである.

(平成201215日 執筆)