「節約」は個人の思想信条としては大切なものだが、人に強制するものなのだろうか? 強制しなければこの社会が成り立たないなら仕方がないが、そうでなければ何か別の意図があると考えた方が良いだろう。

手取り20万円の人が、その20万円の範囲の中で自由に生活をエンジョイすることが悪いことなのだろうか?法律に触れたり、約束を破ったりしなければ、その人の自由ではないだろうか?

1990年以後、日本はすばらしい環境を作りだし、環境によって被害を受けた人はごく少数である。それなのになぜ「国民全部で節約しなければならない」ということになるのだろうか?

「贅沢をするから環境税を取らなければならない」と言う。国と一部の専門家は国民の手取りを減らすことに一所懸命だが、減った手取りに相当するお金は誰が何に使うのだろうか?

国民の財布が悠悠たるもので、贅沢をしているなら別だが、多くの日本人はそれほど裕福ではない。日本人の富の多くが一部の人に集中しているからだ。

普通の日本人は「環境のことを考えなくても、財布の中身を見れば、節約をせざるを得ない」という状況にある。そして、「環境」と言っても何も被害が出ていないので、何をやっても達成感がない。

ペットボトルをリサイクルすると、石油は3倍以上かかる。紙をリサイクルすると石油は2倍かかると製紙連合会が発表している。京都議定書に基づいてCO2を削減しているのは「日本の庶民だけ」で、他国も日本のお偉方も産業かもやっていない。

そんな架空の利権をおっているので、NHKも新聞も暗い未来を描き続けている。ある中学生は「科学が悪いことだけではなく、良いこともしていることを初めて知りました」と感想を述べていた。

未来が暗くて、科学が悪いことをしていると思っている中学生が「勉強しよう!」と思うだろうか?勉強するには未来が明るく、成功すれば少し贅沢ができ、そして理科を勉強するには科学が日本の未来を拓くという夢が必要だ。

現在の日本は自動車(機械)、電気電子(電気)、化学などの産業が世界一流だから豊かな生活をしている。本当に、今の日本の大人は、自分たちの孫に「貧弱な日本、アジアの中でも貧しい日本」をプレゼントするのだろうか?

家では「節約」は良いことだが、社会は戦いの場だから、節約したり未来を暗く描いたりしたら日本の将来はない。

もし、それでもよいと考える人がいたら、その人自身が、今日から「水洗トイレ、冷蔵庫、内湯、テレビ、エアコン、自動車」を捨ててから言ってもらいたいと私は思う。

無責任で口先だけの大人が増えると、社会がとんでもない方向に進み、かつての戦争のように多くの子供が爆弾の下で無残な死をとげる。それは「自分だけは良い生活をしたいけれど、子供や孫はどうなっても良い」という無責任な大人の出現」によって起こることだ。

日本の未来は明るい。そして科学技術が日本の豊かさを保ってくれる。だから、未来に夢を描き、科学技術の功績をたたえ、若い人が無限の可能性を拓くことができるような環境を整えたい。

年配者が暗い未来を語ってはいけない。それは密かに胸に秘めておくことだ。

(平成201130日 執筆)