100年前、もっとも大きな環境問題の一つは、道路の馬糞問題だった。
「最近、馬車に乗る人が増えて、道路の馬糞が増えてきた。馬糞で車輪が滑って事故も報告されている。このまま馬糞が増えたら、やがて、道路が馬糞で覆われて、臭いし、車輪が滑って馬車が使えなくなる。ゆゆしい問題だ。」
100年後、もっとも大きな環境問題の一つが、自動車の排気ガスだ。
「最近、自動車が増えて、CO2の排出が多くなった。発展途上国の自動車もこれから増えるだろう。このまま自動車が増えたら、やがて、CO2の濃度が上がり、地球が温暖化するに違いない。ゆゆしい問題だ。」
ノー馬車デーをつくって、環境に対する意識をあげて、そのうち規制しようと思っていたら、「自動車」というものができて、驚くべきことに馬糞を出さないで走るらしい。これは素晴らしい。
これで、積年の環境問題が一気に解決した。
ノーカーデーをつくって、環境に対する意識を高めなければならないと思っていたら、「CO2カプセル型新輸送車」ができた。驚くべきことに、水だけがでて、CO2や有害排気ガスはカプセルに詰められて周期的に捨てるらしい。
これで積年の排気ガス問題と温暖化は一気に解消した。
「必要は発明の母」というが、これまで人間の発明は、必要に迫られた物が多かった。当然のことだが、現状に満足していたら、なかなか人間は頭を絞ろうとはしない。
しかし、いったん、急を告げると人間の頭は急激に働き出して、あっと言う間に必要な物を作り出してしまう。それが紀元前から2007年まで続いた。
それでも、世の中に悲観的な人はいるもので、「もう、そんなことはない。2008年は歴史に残る年で、この年を境に、すべての発明は終わった」と言う人がいる。
科学の世界だけではない。
「年金がなければ老後を暮らせない」という人がいるが、軍人恩給などのように特別な人だけを対象とする物ではない、普通の年金という制度が出来たのは今から40年前で、その時は一ヶ月100円だった。
今から60年前は、女性には選挙権が無く、女性は「半人前の人」となっていた。今では全く考えられない。
歴史的に人間が困り果てたことはない。もし、それが我々の世代で始めてくるなら、それこそ、そんな経験をするのは幸運ではないか。
先日、今から300年ほど前のフランスの評論を読んでいたら、「近頃の若い者は乱暴で、物の使い方が荒い。わしの若い頃は・・・」と書いてあった。
今から100年前、大統領の諮問に応じてアメリカ特許庁長官は「人類が発明すべきものはすべて19世紀に発明された。これからの人類は何も発明しないだろう」と進言した。
人間はかわいいものである。特にご年配(50才以上)はあまりに自分が経験した時が重いので、未来は見えなくなるらしい。
(平成20年10月10日 執筆)