人間は「よい子」になりがたる。

なぜ、人が「良いこと」に快感を覚えるのかという研究を見ると、「集団をつくって生活する動物は、集団を守るためには道徳的な行動が必要なことを知った。それが「良いこと」に喜びを感じるもとになっている」としていた。

遺伝学的な表現を用いれば「道徳的なことを良く感じる動物が、淘汰に勝って生き残った」ということもできる。

現代でも当てはまるだろう。江戸時代の日本人は素朴で道徳的だった。明治時代の日本人はお国のために頑張った。いずれもその時代の道徳にそったことだったので、日本全体としては力がでて繁栄した。

一人一人が、我を張り、わがままを言っていたら、おそらくその集団は弱いだろう。北京オリンピックの男子サッカーチームのように。

 だから日本人が「良いこと」を心地よく思うのは、遺伝的にも社会的にも良いことのように思われる。 でも、それにつけ込む人たちが増えてきたのだ。

 「良いこと」は「闇の世界」の温床になる。

 実に奇妙だ。本来なら「良いこと」と「闇の世界」というのは、まったく正反対で、明るい朝、朗らかな顔、親切な心・・・などが「良いこと」であり、闇の社会では、暴力、理不尽、お金・・・などが幅を利かす。

 なぜ、この二つは「親しい」のだろうか?

 人は「良いこと」を望む。そうすると、そこに心の油断が出来る。豊かな老後を願うと、社会保険庁という膨大な税金を作る機関を作り、そこで年金の記録はなくす、収入を低く書き換えて支払い保険料を少なくしようとする。犯罪のし放題である。

 大相撲もそうだ。なにしろ国技だし、綺麗なスポーツだから、そっとしておきたい。その心が逆になって、部屋ではリンチが行われ、八百長があるのか無いのかもわからない闇の世界ができる。 

環境では、「ものを大切にしたい」と強く思うと「リサイクルしたら」という誘いについ乗ってしまう。本当にリサイクルをすれば目的が達成されるかには、気が回らないのが普通だ。

 また、「地球がなにか異常になっている」と感じると、「何かしなければならない」と思う。そこに「CO2が増えて100年後は海水面が上がる」と聞くと、ついそれを信用してしまう。

 人間は感情が先走ると事実が見えなくなる。それはかなり科学の訓練を受けた人でもそうだから、無理もないことだ。

 そこにつけ込んで、お金をとる。それが闇の世界である。リサイクルをしていないのに、回収率をリサイクル率と書き換えて5000億円も取る。そしてその恩恵にあずかる人たちは、闇を暴露しようとすると一斉に攻撃に出る。温暖化は3兆円だから、攻撃は6倍になるだろう。

 そして、闇からの攻撃は常に匿名で、ネットやメールを利用する。それは正々堂々たる武士としての異論ではないからだ。また、異論の中に人格攻撃がはいるのも「闇」との深い関係を示している。

 今、「地球環境を大切にしよう」というとても良いことが「闇」になりつつある。こんな闇を作ってはいけない。東大の渡辺先生が言われていること、「温暖化対策は温暖化を進める」という言葉をかみしめたい。

 どうしても「日本人の誠」がいる。それだけが私たちが子孫に受け継がなければならない魂である。

(平成20109日 執筆)