すこし言葉は悪いけれど、何を意味しているのかをハッキリさせるために、あえて「悪魔のことば」と表現させてもらった。その言葉とは・・・

 「あなたには何ができますか?」

 環境を話すときに、最近ではすぐ「あなたには何ができますか?」とか、「私にできること」という言葉が出てくる。この言葉は本当に恐ろしい。

・・・かつて・・・

 明るい未来が約束されていた多くの児童が、原子爆弾の下で瀕死のやけどを負い、絨毯爆撃で黒こげになった。私はその記録を見るたびに「ああ、すまない。大人はしっかりしなければ」と決意する。

 小泉元首相についてはいろいろな評価もあるが、私は彼が特攻隊の記録を前にして、絶えられずに嗚咽したことだけで、尊敬する。

 「母上様、幸光の戦死の報を受けても決して泣いてはなりません。靖国で待っています。きっと来てくれるでせうね。敵がすぐ前に来ました。私がやらなければお父様お母様が死んでしまふ。否、日本国が大変なことになる。幸光は誰にも負けずきっとやります。母上様の写真は幸光の背中に背負ってゐます。」

 海軍少佐 富澤幸光は昭和2016日、神風特別攻撃隊第19金剛隊でフィリッピンに出撃、戦死。彼は北海道江差町の出身で23歳だった。

 「当時、(広島市)己斐小2年だった妹陽子は「(兄の博信は)被爆後すぐに飛び込んだ本川から土手をはい上がったためか、焼けただれた皮膚の中に小石がいっぱい埋まっていました。登校中に被爆した私を気遣い、『僕はいいから、妹に水を飲ませてやってくれ』と母に言ったそうです」。7日朝、「苦しいよ、苦しいよ」と繰り返して死去。

 大瀬戸博信君。13才。8月6日広島で被爆。

 祖国を守ろうとした英霊に感謝し、無念の死を遂げた児童を悼む。我々は決して繰り返してはいけない。

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 なぜ、こんなことが起こったのだろうか?それは、

「あなたには何ができますか?」

という言葉だった。

 でも、本当はその前に「なぜ?何かしなければいけないの」という問いが必要だった。それさえあれば、もしかしたら富澤君も博信君も立派な人生を全うしただろう。

 日露戦争に勝利した日本は、どう猛なヨーロッパやアメリカなどの白人国家の植民地にならないですんだ。それは深く祖先に感謝しなければならない。しかし、その後、十分な議論もなく、また情報は作り出されて、最後の戦争に突入した。

 あの時、「なぜ、これで十分ではないの?」、「なぜ、地の果てまで軍隊を進めなければならないの?」、そして「あなた、どこまで行く気なの?」と聞く勇気があったなら、多くの犠牲者を出さず、アジアの諸国から感謝されただろう。

 今、「リサイクルは本当に環境に役立つの?」、「100年後の温暖化は本当に予想できるの?」、そして「レジ袋の追放なんか、関係があるの?」という質問さえできれば、食糧がなくなり、エネルギーが得られない日本の孫の時代の準備ができるだろう。

 でも、「あなたには何が出来ますか?」と聞かれると、そこで「なぜ?」はすべて消えて行動だけを求める。思考は停止してしまうのだ。

 ・・・私は疑問を聞くこともできない、私は考えることもできない・・・すでに決まっていることに「何が出来るのだろうか?」 そうだ。突撃しよう。意味があってもなくても、自分には突撃することしかできない・・・

(平成20107日 執筆)