一途に「競争と拡大」だけを目指してきた研究を打破できないかと、15年ほど前から「自然と伝統に学ぶ」という活動を進めてきた。

普通に大学で自然を学んだり、生物の自己的な修復活動を研究したりする傍ら、大学の外にでて、日本の伝統的な技や、アイヌの文化なども学んだ。

 そんな中で伝統の技を勉強するのに良い機会を得て、年に23回、旅をしたり、夏には名古屋からバスを仕立てて同好の士と一緒に、中部や関西圏の伝統の技を見るために巡ったものだ。

 「ものづくり」がもてはやされる昨今だが、今や、日本の伝統の技は消える寸前である。日本の伝統の技を職業としている各地の職人さんの多くは老齢で、現代の生活の中で受け入れられる彼らの工芸品の種類は少ない。

 そんな中でも、宮大工、和紙の職人、金細工、そして漆や刃物の職人たちは黙々と最後の火をともし続けている。

 彼らに学ぶことは多かった。それが私のミームに語りかけて居心地の良い空間と時間を提供してくれたし、何故、古くなった家具や和紙がこれほどまでにすばらしいのかと現代材料工学の製品と比較しては、感嘆したものだ。

 でも、私は学生たちには「すばらしいと言って感心してはダメだよ。彼らの作品の中に、私たちが知らない知恵を発見するんだ」といつも注意していた。 学生を連れた旅は、趣味でもあったが、同時に研究活動でもあったからだ。

 15年間の研究を終わり、進んだ研究も多かった。 学会での自然と伝統の研究発表はいつも人気があった。でも、活動を通じて私の心に残ったものは一つだった。

「名人は栄達を望まない。それどころか、栄達を口にし、心に浮かべるだけでも汚らわしいと心底、思っている。」ことを教えてもらったことだ。

 かつて、日本の支配階級だった武士はお金とは一切、切れた関係を保っていて、お金に接すること、銭勘定をすることは忌避すべきことだった。その伝統は今、職人たちに引き継がれている。

 ある人間国宝は、自分が国宝に指定されたすぐ後、それまで乗っていたごく普通の乗用車を軽自動車に替えた。それは「人間国宝に指定される」という「栄達」を嫌う彼なりのパフォーマンスのように思えた。

 ある宮大工は、いつもみずぼらしい格好をし、よれよれの帽子をかぶって、ブラッと現れた。 彼の建築物はすばらしく、おそらく値段をつければ天文学的なのだが、彼はいっこうにそんなことは口にも出さず、ただ彼が使う木材のもつ湿度のことだけを熱っぽく語った。

 どんな職人も簡素な格好をし、何もない畳の部屋に座り、黙々と作業をする。人の前に出るのはそれほど得意ではなく、夜、魚を持ち寄って仲間と一杯傾けるのは大好きだ。

 でも、高級料亭や会費を出すようなところには行かない。どんな質素でも、心が通うところなら隣の県でも平気で来てくれる。そして、夜中の2時になると、「おい、ラジオ体操をしよう」と言って学生と外で体操をする。

 体で生き、体で楽しみ、そし自然の中に生きる。 作業に熱中し、世の栄達を望まない。いや、望まないのではない。栄達を忌み嫌っているのである。

 私は工学部で日本の伝統の教育をしたい。それは学生に毎日、繰り返して「この世の栄達は賤しいものだ」と教えることになる。まさか、日本の伝統の技をものにしてこの世の栄達を望もうなどは見当違いだ。

「世に認められてはいけない。認められると言うことはその時代の中にいることだ。学者は社会より先にいなければならないから、認められないことを誇りに思わなければならない」

 これは明治生まれの私の父の口癖だった。私もまた、学生に「この世の栄達は賤しい」と教えたい。

今日、社会的には栄達した農林水産省の次官がコメの偽装について、「農水省には何らの責任はない」とテレビで言っている顔を見て、私は急がなければならないと思った。

(平成20912日 執筆)