私は日本には環境問題はないと確信している。それは科学的に見て確かなことだと思う。

 ダイオキシンはさほど注意を要さないものであるし、ある程度の毒物がこの世にあるのは仕方がない。またあまり新しい化学物質を次々と作るのも問題だが、普通に注意していればよいのだから毒物に関しては大した問題はない。

 リサイクルはやっても資源の節約にもならないし、プラスチックなどは焼却すればよいのだから、これも問題はない。かえって焼却しないと毒物がたまるからリサイクルはしない方がよい。もちろん分別も環境を汚す。

 レジ袋などは笑止千万で、なにも役に立たない。クールビズなどもはっきり言えば児戯の類である。ずいぶん、衣料関係のメーカーは儲けただろう。そしてそれだけ資源とエネルギーを使い、クールビズを初めて新しいシャツをかって捨てたシャツがリサイクルされたなどという話は聞いたことがないし、どの程度が有効に使われたかなど、都合のよいことだけしか言わない環境省は発表するはずもない。

 経済がある程度、発展して、GDPが増えればゴミも増えるし、自然に対する影響も大きくなる。それは「環境問題」ではなく「生活の選択の問題」だからこれも仕方がない。

 かくして、成行きに任せておけば、日本は世界一の寿命とほぼ世界一の所得の中で生活することができる。人間にとって生命財産が最も大切だから、日本の環境は守られているといってよい。

 それでは温暖化はどうだろうか?私は温暖化しても日本は良いことばかりで、悪いことを探すのが大変だから、あまり気にしなくてよいと思う。暖かくなることは良いことだ。

 まず、基礎的にはそう思っている。

 そして、私はやや現実論で、「大型台風が止められなければ、止めるのをあきらめなければならない」という考え方だ。環境問題では、温暖化と資源の枯渇は、私たち日本人にはどうにもならない。

 どうにもならないものを気にしても仕方がない。諦めて対応だけをとっておく必要がある。つまり、台風を止めようとしないで、窓に釘を打ちつけるのである。

 日本には石油や天然ガスがないから、節約してもその分だけ他の国が使うだけだからまったく節約の効果はない。精神的なものは別だが、社会システムとしては節約はまったく意味がない。

 温暖化もそうで、現在の温暖化が太陽活動でも二酸化炭素でも、私はあまり興味がない。いずれにしても日本人は何もできないし、まして私個人はやることがない。こまめに電気を消したら電気代が浮いて、それでドライブに行くのでまったく効果がないのだ。

 私は気楽だ。

 ダイオキシンも注意していないし、ゴミも分別していない、ましてこまめに電気を消すなどということはしていない。明るい方が良いけばつけるし、お金が厳しくなったら節約するだけのことだ。

 私は私のしたいことをしている。

お給料の範囲で「善意の市民」として行動すれば何も非難されることはない。自治体には申し訳ないが、ゴミだけは自治体で片付けてもらいたい。それもわれわれの税金でやるのだし、自治体も職員の首を切るよりゴミを処理する仕事があった方が良いと私は思う。

 ところで、私の生活は思想信条から質素だし、簡単な生活をしているが、それを他人に強制する気持ちはない。他人は他人、自分は自分だ。それぞれの人が悲しみや喜びを背負いながら生きている。他人にはその人にとって何が大切かは容易には分からないと私は思う。

(平成20611日 執筆)