自衛隊のイラク派遣が憲法違反であるという判決が名古屋高等裁判所ででた。停滞気味の日本の司法では、なかなか画期的な判決だ。
日本は法治国家と言われるけれど、政府は法律に違反しても大丈夫と言うことが多い。日本の司法は長い間、巨悪を取り締まる力はなく、庶民の微罪の摘発に熱心だったのに、それが一つ、破られたことだ。
社会の指導層の悪をそのままにして、弱い庶民の小さな犯罪を取り締まっても社会は良くならないと私は思う。
だから、高等裁判所が違憲判決を出したことにも、ややビックリした。「三権分立」なので裁判所が違憲判決を出すのはその役目の一つだが、これまでは「違憲判決に慎重」と言われ続けてきた。
「慎重」という言葉は使われるが、それは司法に対する日本人の素直な尊敬の念が込められれているのであり、正直に表現すれば単に「裁判官が決意ができない」ということに過ぎなかった。
その二つがこの判決で覆ったのである。
ほぼ同時に、4億6000万円に及ぶ公立高等学校の授業料の滞納が報道された。授業料を滞納している保護者の中には生活に困窮して支払いが滞っている例もあるだろうが、事実とは違うような気がする。
テレビや新聞などの報道機関が、情報をできるだけ早めに詳細に伝えてくれれば、「高校全入時代に授業料が支払えずに、高校に進学することができない子供がいる」のか、それとも「授業料が支払えるのにもかかわらず、支払わなくても誤魔化せる」と考えている親が多いのか、まだハッキリしない。
ちまたの噂では、支払えるのに払わない保護者が多いとささやかれているので、ここでは保護者は支払えると仮定したい。もし本当に日本の高等学校の授業料を4億円も払えない保護者がいるとしたら、そちらの方が社会問題として大きい。
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「誠実な生活」というのはどういうものだろうか?と私は思う。元気であれば毎日、仕事にでて、額に汗をして働き、その働きに応じて給料をいただく。そしてそれで毎日の生活をする。
自分がしたいことでも、給料では支払えない場合はあきらめる。ご飯が食べられなければ人様のお世話になるしかないが、ご飯が食べられれば、あとは我慢する。
ズルをするというのはなかなか大変なことだ。あれこれと思いめぐらさなければならないし、単純に仕事をして、自分の持っているお金の範囲で生活するより辛い。ズルをすると得するように感じるのは錯覚で、それはかなり辛いものである。
なぜ、日本政府は自衛隊をイラクに派遣したのだろうか?日本国憲法は軍隊を持つことを禁止し、戦争することを禁じている。だから、すでにイギリス軍と同じ規模の軍事予算を使う自衛隊は軍隊であり、イラクに自衛隊を派遣するのは戦争をすることだ。
それは、あまりにも明白で憲法に違反することは間違いない。正直で素直な日本人にはできないはずのことだ。
なぜ、日本政府は自衛隊をイラクに派遣したのだろうか?それはアメリカに商品を売り、アメリカの支配のもとにある資源を確保したいからだ。
お金が欲しいので約束を破る・・・簡単に言えば自衛隊のイラク派遣とはそういうものである。
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高等学校は義務教育ではない。だから、もし保護者が授業料を支払えなければ高等学校に進学することはできないのは当たり前であり、高等学校に進学したら授業料を支払うのもまた当然である。
もし、「高校全入」が本当に必要なら、高校教育を義務教育にしなければならない。その決意ができないので、支払えない保護者は授業料を滞納しても良いとか、入学手続きに必要なお金を払わない生徒が入学式に出ることができないという当然のことに「配慮が足りない」というコメントが白昼堂々と出ることが奇妙である。
お金を払わないですむならそうする・・・というのが高校授業料の滞納である。義務教育でも何でもないのだから、できないことはできないと子供に教えることが誠実というものだ。
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現在の日本は繁栄している。少なくとも世界ではトップクラスの所得があり、生活レベル、教育レベルは高く、企業のトップは豪華絢爛な生活をしている。
でも、精神的には貧しくなっているように思える。つまり「額に汗して働き、約束を守り、できないことはできないとあきらめる」という単純で基本的なことすら「精神的に」耐えられなくなっているように見える。
「物」は「心」を破壊する。私たちの誠実な心は破壊されつつあるのだろう。でも、ここで折り返すことはできないだろうか?
もし「誠実さをもった日本」に折り返すなら、「自衛隊」から始めた方が良い。憲法を改定しなければ自衛隊を解散する、それがどんなに大きな社会的衝撃を与えようと、それを「日本の誠」の試金石にすべきだ。そして、それができる精神的強さを持てば、その波は徐々に庶民に拡がり、高等学校の授業料の滞納も無くなるだろう。
(平成20年4月21日 執筆)