「捕鯨禁止運動」と「紙のリサイクル」は同じ考えであることが判った。
自然と人間というのを考えたとき、人間はどうしても自然を利用させてもらわなければ生きていけない。というより現在は自然を使い放題に使っているとも言えるだろう。
だから、クジラも森林も「自然を壊さないように使う」ということ以外に私たちが生きていくことができない。そしてそれには人間が判断しなければならないことが多い。たとえば、森林なら天然林と人工林の割合を決めるのは人間であるし、海でクジラが食べるサカナと人間が食べるサカナの比率も人間が決めなければならない。
だから、「どの程度を、どうしよう」というのは国際的な議論にならざるを得ない。それでも森林のようなものは日本だけで何とか処理することもできるが、クジラとなると国際的な協調が必要となる。
そのためには、日本の環境問題を考えるときにも、国際的に「日本の考え方がわかりやすい」という状態を作っておかなければならない。
ところが、クジラの場合は「環境調和主義」で行き、紙の場合は「環境原理主義」で行く、と言うように使い分けるから諸外国は「日本人は何を考えているのか?」と訝ることになる。そのように使い分けると外から見ると「ご都合主義」に見える。
その一つが家電リサイクルだ。
日本国内では「家電製品を捨てたらリサイクルするのが環境によい」と言うことになっている。政府もそういっているから、外国人もそう思う。
でも、家電リサイクルは政府の監視のもので行われているのに、すでに日本の国内で捨てられる家電製品の約半分が外国に持ち出されている。もちろん、日本政府がこれまでに国際的に宣言してきた「先進国のゴミを途上国に持ち出さない」と言うことにも反するし、国内では国民に言っていることにも反する。
残念ではあるが、現在の日本ではこれでよい。
すでに現在の日本人には誠実さというのはないから、口で言っていることと行動とがずれていても問題にはならないのだ。
クジラは食べたいからとる、森林は外国のものを使うから国内の森林は守る、家電製品は処理がやっかいだから途上国に出す、その時その時で、都合の良いようにすればよいと言うのが残念ながら、現在の日本人の姿勢なのだ。
すべて自分本位になっている。でも、クジラを食べたいなら(私も食べたい)国際的に日本人の誠意を見せることだ。それには
「日本人は自然との調和を守り、その調和は合意によって作り、その合意は合理的でなければならない」
という一貫した考え方が見えるようにしなければならないのだろう。
私は日本人の誠の形、環境中級講座、ジックリ考える環境というのを書いてきたが、余りに多い矛盾に書くのが辛くなってきた。
もっと明るく、素直な生活を送りたいものである。
(平成20年4月4日 執筆 多くのシリーズは終わりにする)