イラクのフセイン大統領が嫌いだったのかも知れない。傲慢そうに見えたのだろうし、こちらの要求を聞かなかったのかも知れない。外から見るとイラク国民の多くが大統領を支持していなかったのかも知れない。
でも、そんな理由で相手の国に攻め入っても良いのだろうか?
アメリカがイラクを攻撃する理由としてあげた、「大量破壊兵器」と「テロ集団」の両方ともウソだった。この「ウソ」をいうのはイラクが大量破壊兵器を持ち、テロ集団を応援していると思っていたという「誤解」ではない。
アメリカは、イラクが大量破壊兵器を持たず、テロ集団を支援していないことを「攻撃する前」に知っていたのだ。だから、完全にアメリカが犯罪人で、イラクは単なる被害者だ。
それなのに、アメリカという悪の手先になったイラクの裁判所も、フセイン元大統領に死刑の判決を出し、アメリカは相変わらずイラクに駐留を続けている。
「悪」がのさばり、「正義」が後退している。有色人種にとっては、「悪の枢軸」とは19世紀以来、アメリカとイギリスのことだ。
ところで、誰に聞いても「平和が大切」と強調している日本人は、イラクに自衛隊を派遣し、今でもインド洋で給油活動を行っている。
なぜだろうか??
なぜ、日本人はこの醜悪なイラク戦争を批判しないのだろうか? あれほど平和を唱えてきた日本の多くの人は知らないふりを決め込んでいるのだろうか。こんなことで本当に平和というものを守れるのだろうか?
アメリカはイラクの石油が欲しく、中東での利権を守ろうとした。ヨーロッパを中心とする国連はかつての植民地の権限を守ろうとし、日本はアメリカにたてつくと不利だから、お金を気にしてアメリカに従っている。
日本人の誠、誠実さ、潔さは、経済成長と一緒にどこかに行ってしまい、私たちはこれからも、働けるだけ働き、格差が広がり、魂は抜け殻となり、首から上はついているだけという民族になってしまうような気がする。
人を傷つけない限り、人は「信じていること、思っていること、考えていること」をそのまま口に出して、行動するべきであると私は思っている。
「あなたには何ができますか?」と言い、「温暖化防止のために節電しましょう」と呼びかけ、それでいて自分の家は全館冷暖房で100軒分の電気を使っているというゴア元副大統領のようにはなりたくない。
アメリカ人やヨーロッパ人は口先と行動が違うが、日本人は誠を貫きたい。そういう国に生まれたことに誇りを持ち、そして立派に人生を送りたい。
日本は直ちに「イラク戦争は間違っていた」と宣言して、手を引き、損害を与えた分だけイラクを初めとした中東の人を援助しようではないか。これほどの巨悪を許しておいて、小さな偽装など問題にしても意味はない。
(平成20年3月30日 執筆)