久しぶりにニュースの見方を執筆したくなった。最近のニュースはなにか大きく日本が違う方向に進んでいるようで、コメントが書きにくかったが、いま話題になっているガソリンの暫定税率について少し考えを述べたい。

 

 ガソリンの中に20円をこえるような「暫定的な税金」が含まれているというのは、ねじれ国会になって初めて知ることができた。これまでガソリンの税金が高いことは知っていたが、それが「暫定的特定的」であるとは気がつかなかった。

 

 この暫定税率の延長について、国会での与野党の膠着状態を打破するために、福田首相が「特定財源から一般財源へ」という妥協案をだし、「環境などに使う」と発表した。今日(3月末)の大新聞の社説は首相の提案を支持している。

 

私はまったく違う。

 

 暫定税率だろうが、特定財源だろうが、このガソリン税というのが存在するのは「道路が必要だから」であり、「何でも良いから税金を取りたいから」ではない。

 

 当たり前のことだが、税金というのは「必要があるから国民から徴収する」のであり、特に特定財源の税金は目的がハッキリしている。つまり、「暫定的に日本に道路を造る必要があるので、自動車を運転する人からガソリンの消費量に合わせて税金を取る」というのが、ガソリンの税金の「暫定的な特定財源」の論理だろう。

 

 それを「野党が反対するから環境に」というのはまったく奇妙である。それなら、「道路を作らなければならないから税金がいる」というのはウソで「税金が欲しいから税金を取り、それを何でも良いから使う」ということと同じである。

 

 私がニュースの見方を書きたくなったのは、現在の日本は政治家と官僚の力が落ち、本質的な論議ができないので、「どこかでいつの間にか決まったものなら政策が立てられる」という情けない状態に陥っているからだ。

 

 たとえば、「温暖化は日本にとって問題か」というような議論はなく、「温暖化は問題だ」ということをどこかで決めて、「何をするか」という方法に熱中する。それはリサイクルでも同じで、「リサイクルが環境を改善するか。もしくはしているか?」という議論はなく、「リサイクルすることになっているから、する」ということだけである。

 

 リサイクルに疑問を持つ私に対して、「リサイクルは環境に良い」という立証にもとづく反論はほとんど無く、どちらかというと「決まっていることに文句をつけるな」というのが多い。それもリサイクルを進めている人が実績も調べていないように感じられる。

 

 そのような体質の中で、「道路は必要なのか」という議論は「暫定」ということでまず曖昧にし、さらに「道路でダメなら何か使えないか」というように「揮発油税あり」が最初になっている。

 

 かつてアメリカの言うとおりにやっていれば良かった時代と違い、日本が自らその進む道を考えなければならないときに、誠実でしっかりした論理とそれに伴う強い意志を首相に感じたいものである。

 

 そして、政治家には、何にも増して大切なのは「誠実である」ということだ。自分は本当にどう考えているのか、それを突き詰めて正直に言う勇気を期待したい。

 

(平成20329日 執筆)