200年前の世界の人口は7.5億人だった。
100年前の世界の人口は14億人だった。
増え続ける人口が果たしてどこまで行くのか、国際連盟はそれを心配して特別チームを作り、「人類の究極の人口推定」を行った。もちろん、1930年当時の世界の最高の頭脳を集めてのことだ。
その結果、「26億5000万人」という結果が出た。
数字の最後、5000万人というところに彼らの自負と自信がみなぎっている。「おおよそ30億人」と言わずに「26億5000万人」と言うところがすごい。
私はIPCCが「2100年の気温は最大で6.4℃の上昇」とNHKが報道したときに、この人口の数字を思い出した。「おおよそ6℃」ではなく6.4℃というのだから相当な自信だ。後にこれは2.7℃の間違いであり、故意の誤報だったことが判ったが、ともかく6.4℃という数字を出す度胸はすごい。
ところで、この国際連盟特別委員会・・・たしかグールド委員会と記憶しているが・・・の26億5000万人という数字が正式に国際連盟報告の書籍に掲載されたとき、すでに世界の人口はこの数字を超えていた!
なんということか!委員会の推定は誕生の時から否定されていたのだ。
自信たっぷりの数字は怪しい。それは「学問は未来を予測することはできない」という基本原則を知らない人が学問を使うからに他ならない。
そして現在は60億人を突破した。19世紀の100年で2倍、20世紀の100年で4倍、そして21世紀の100年で8倍になり世界人口は480億人まで可能である。
60億人の人間が現在の日本人レベルの生活をすると、地球は8ついる。大気も水も、そして地下資源もすべて限界があるのだから、それも仕方がない。
それでも480億人まで増やそうというのだから、かなりすごい考えだ。
日本には「少子化担当大臣」というような大臣がいるらしい。私は政府の頭が少しおかしいのではないかと思うが、大勢の日本人が「少子化対策」を支持しているのだから、少子化は困ることらしい。
「青年」という言葉は輝かしい。でも、「老い」というのも良い言葉だ。「美しく老いる」という言いかたもそれほど悪くない。
でも「老齢化人口」はいただけない。
「実に、2030年には老齢化人口比率が**%にもなり、破滅的になる」
という。なんで破滅するのか? 歳をとった人間は「日本には価値のない人」なのか?
「老齢化人口が増えると、消費が減って困る」
という。お金を使わない人は「日本では困る人間」なのか?
老齢な人は迷惑だ、お金を使わない人は経済に貢献しなくて困る・・・そう政府も産業界も叫び続け、少子化対策を進める。
人間は年齢によってその価値が変わるものではない。もしそのようなことがあるなら、それは年齢によるものではなく、ある個人が「年上だからと言って威張ったり、かつての活躍を懐かしんで昔話ばかりしたり」することであり、年齢ではない。
それに人生80年の時代、いくら何でも60才で定年というのは早すぎる。どの人もまだ十分に働くことができ、またその気力もあり、そして多くの人は年をとても謙虚だ。
それなのに退職を迫り、「老齢者は困る」と言って早く死ねと言わんばかりだ。そして子供を多く産んで人口を増やそうとする。
寿命が延び、歳をとっても元気な国民が増えることが、なぜ「悪いこと」なのだろうか? 歳をとって節約し、あまりお金を使わない人はなぜ「悪い」のだろうか?
政府や知識人は「環境」を話すときと、「老齢人口」を話すときと、なんでこんなに違うのだろうか?
リサイクルも、ダイオキシンも、温暖化も、そして少子化も、わざと社会にひずんだシステムを作り、それで人のお金を狙うばかりの社会になっているように私には思える。
ここら辺で、おとなしくしているのを止めて、60才以上の人は「私たちも国民だ」と穏やかに言ってみたい。そして、まず電車の「シルバーシート」に座るのを止めよう。
なにがシルバーだ!我々も「日本人」であり、まっとうなパートナーだ。
(平成20年3月22日 執筆)