三題噺のような感じがするが、捕鯨禁止、紙のリサイクル、そして廃家電からの資源回収という3つの話をしてみたいと思う。それは、いずれも同じ背景を持っているからで、本の国際政治というものもあわせてよく示している。
まず、クジラから行きたい。
クジラの肉は美味しい。かつて、クジラの肉の缶詰もあったし、ベーコンのような感じのクジラ肉も美味しかった。少し、ショウガのようなものをつけて食べた記憶がある。
今では、超高級品になってしまった。東京にあるクジラの専門店の標準的な料理は1万円すると言うし、時にお酒が入って気が大きくなり、クジラを食べたいと思って一皿頼むと2000円したりする。
2000円と言えば超デラックスな食事ができるのだから、皿の上に何切れか乗ったクジラの肉を2000円で注文するのはお酒が入ったときだけかも知れない。
日本は海産物を取って生活する文化を持っている。もともと基本的にはお米を主食とするところはサカナを捕り、コムギを主として食事を構成するところは陸上の哺乳動物を捕る。
アジアの東の地域は海岸線が入り組み、漁場も近いところから漁業が盛んで、従って、インドからインドネシア、インドシナ、そして中国から日本までの地域はお米の文化である。
もちろん、サカナをとるのだから、クジラも捕る。昔は普通のサカナは魚類、クジラはほ乳類などと区別しているわけではなく、「海の幸」として認識していた。
20世紀になり、捕鯨活動は少しずつ近代化され、それまで近海に船を出して手で銛を投げて捕獲していたクジラを遠く南氷洋まで出かけていって、機械仕掛けの強力な銛でクジラを捕るようになった。
そのころである。日本でクジラの肉と言えば牛肉などと比較して、格安で、食糧難の時代に給食にも出ていた。私の年代の人はそういう時期を過ごしているのでクジラには思い入れがある。だから「捕鯨禁止」と言われるとカッとくる。
捕鯨について国際的な関心を持ち始めたのは第二次世界大戦直後で、現在の国際捕鯨委員会の前進が設立され、少しずつクジラの捕獲についての調査や意見交換などが行われてきた。
それが一部の活動家やアメリカ、ヨーロッパの政治的な思惑も入り、少しずつ捕鯨禁止の方向に進んできた。その一つの要因を為したのは日本の無制限な捕鯨活動にもあった。
戦後から高度成長まで、日本には自然との共存とか、動物愛護などの考え方はほとんど無かった。と言うより日本は古来から輪廻思想があり、自分自身と自然が一体のものだったが、ヨーロッパは人間と自然とを対比して考える思想で、そのような思想はなかったというのが正しいであろう。
日本が急速に経済力を高めていったとき、すでにアメリカやヨーロッパは高度成長期を脱して、成熟した社会や自然環境との調和を目指していた。
ちょうど、すでに経済的に成熟し、公害を経験し、大気汚染などに対して敏感になっている現代の日本人が、成長途上の中国の大気汚染に眉をひそめるように、ヨーロッパ人は、当時、無制限に見える日本の成長に心穏やかではなかったのである。
人間は自分が過ぎると、その過ぎた当時の自分の至らなさを忘れてしまう。若い頃、さんざん遊んで悪さをした人が、歳を取ってコロッと若者を叱っているようなものだ。
捕鯨禁止の動きもそのような経済発展の基本的な状況の中で進み、ある時に日本人としては突然「捕鯨を禁止する」という世界的な運動の中に巻き込まれたのである。
その底流はすでに20年前ぐらいに起こっていたが、気がつかなかった。これも「現在すでに底流として流れている20年後の動きを読み取れない」のと同じである。
(つづく。平成20年3月20日執筆)