2007年夏の選挙で、民主党が参議院の第一党になってからと言うもの、今まで日本社会の見えない部分がさまざまな角度から見えるようになってきた。衆議院と参議院の第一党が違うと言うことは、もしかすると政権交代より国民にとってはよいかも知れないと思うことがある。

  

 その一つが、日銀総裁の人事だ。私たち国民から見ると、なぜ日銀という中央銀行が政府から独立しているかというと、政府の財政政策は、時にその政府の政治的思惑で短期的視野から決定されることが多いが、金融は国民生活全体に影響があるので、やや政府から離れて存在していた方が良いという歴史的な経験による。

 

 中央銀行総裁は時の政府によって選任され、国会の承認を求めるが、いったん総裁になったら、政府とは一定の距離をおいて政策を進めなければならない。その位置づけは最高裁判所長官ほど独立していないが、やはりかなりの独立性が必要である。

 

 たとえば、政府が選挙前に票が欲しくて公定歩合を下げたいと思っても、日銀は独自の判断で公定歩合を決めることができる。それが大切だ。

 

 社会的に「高い立場」と暗黙の内に了解しているポジションがある。日本に於いては天皇陛下、伝統が浅い国では大統領が最高だが、最高裁判所長官、首相、日銀総裁などはその典型的なもので、三権の長である衆議院議長や参議院議長より国民の一般的な意識としては日銀総裁の方が上のような感じさえする。

  

 今回の日銀総裁の人事騒動は、最初から

「旧大蔵省の天下り先としての日銀総裁」

という日本の悪しき伝統を、政府が民主党の反対を利用して崩せるかというところにその焦点があった。

 

 でも、それが表面に出てきたのは、第一の候補者が参議院で拒否され、第二に現在の福井総裁の留任を提案して失笑を買い、そして第三にまた旧大蔵省系の次官を候補者にあげたところであった。

 

 多くの知識人はじめ、国民は「日銀総裁は旧大蔵省の事務次官の天下り先だったのか!」と驚いた。それは、大蔵省次官もある程度は偉いけれど、その天下り先が、それより上位の日銀総裁だったことに更に驚いたのだった。

 

 私がここで問題にしたいのはこの奇妙な日本の慣習自体の問題ではない。最初の候補者を推薦したときに福田首相が国民に対して、

「なんで民主党が反対しているのか、わからない」

と言い、私は驚愕した。言って欲しかったのは、

「日銀総裁は、旧大蔵省の次官の天下り先ですから」

という正直なコメントである。

「そんな「本音」を言えるはずはない」

と言う人が多いだろう。でも、「首相のパートナー」は誰だろうか?

それは、国民である。

 

 首相にはいろいろ難しい舵取りがある。だからこそ天皇陛下以外には日本で最高の地位と認識されている。でも、その最高の地位は「国民から委嘱を受けた」ものであり、政党の権力闘争で得たものではない。あくまでも国民からの委嘱である。

 

 だから、首相は国民に語りかけなければならない。

「残念ながら、官僚の力は強く、すでに国民全体より強力になっている。特に天下りの慣習を破ることは首相でもできないから、ご理解いただきたい。」

と言うべきである。主(あるじ)は国民なのだ。

 

 民主党は「財政と金融の分離」ということを表面に出して、参議院で不承認にしたし、社民党や共産党からも積極的な「天下り」に対する反対は聞こえてこなかった。それぞれかなり頑張ってはいるが、もう一つだ。

 

 いつになったら日本の首相や政党は国民をパートナーとして認識し、本当のことを国民に語りかけるようになるのだろうか?

 

(平成20319日 執筆)