さて、15年ほど前は「リサイクル」は「希望」であって、「現実」になるかどうかは判らなかったが、リサイクルが資源の再利用に有効であるという学問的な結果は、主としてLCA(ライフサイクル・アセスメント)の領域から出てきた。
LCAというのは現在では多くの人が知っているが、当時はそれほど知られておらず、また学問的な発達度合いも未熟だった。学問はそれがしっかりした体系になるまで少なくとも数10年はかかるものであり、それまで学問領域とも認められていなかったLCAが一躍脚光を浴びたのだから、少し時間がかかるのはやむをえない。
それでも、LCAは国家の政策と結びついたので、直ちにLCAが学問的な結果を出しうる方法として登場したのである。
当時から、LCAを専門とする人にはある特徴があった。それは「批判を極度に嫌う」ということだった。もともと学問は「批判を楽しむ」ものだ。それは「目的を持っていない」ということと対になっている。
たとえば「リサイクルが資源の有効利用になるか?」という問題が出されると、学者はグズグズする。「そもそもリサイクルって何ですか?」というようなとぼけた質問も出るし、「リサイクルって言ったって、いろいろでしょう。単純には答えはでませんよ」と言ったりする。
それを聞いて普通の仕事をしている人は「やれやれ、学者はこうだから困る。とにかくリサイクルをしなければならないんだから、いい加減でも良いから計算結果を出そう」ということになる。社会と学問はいつもそういう関係だ。
学問が行動が遅かったり、ピントがはずれていたり、さらには役立たないと言うことはない。航空機が空を飛ぶのも、パソコンが使えるのもすべて学問のおかげだが、学問は新しいことをするので、慎重だし、定義などにこだわる。
社会と学問が違うからこそ、学問は学問たる所以があり、社会に役立つのだ。
私も当時、大学にいて「リサイクルとは一体、何だろう?」と考えていた。最初の疑問は「まだ、使えるものを捨てるからリサイクルしようというのだろうか?それとも使えなくなったので捨てるのだろうか?」というものだった。
たとえば、自動車のリサイクルを考えると、「使えるうちに捨てる」というなら、リサイクルではなくて中古市場を充実させれば良いし、みんなが新車に乗りたがって寿命の途中で捨てるなら、新車の税金を上げるとか、途上国に輸出するなどがよりよいように思われた。
もちろん、途上国に輸出するには、よく整備をするとか、途上国に修理工場や解体技術を提供する必要があるが、それも含めて政治の問題である。
使えなくなって捨てるというなら、「なぜ、使えなくなったか」を考えなければならない。たとえば、「材料の寿命が来たから」というのなら、金属類はもう一度使えるが、その他の材料は捨てなければならない。それは金属以外には劣化した材料をもとに戻す技術が無いからである。
技術は「理想」ではなく「現実」だ。空を飛びたいと希望しても、安全運行できる航空機が製作できず、安全運行のノウハウがなければ飛ばすことはできない。何ができて何ができないかをしっかり見極めるのも技術者の役割である。
廃棄される自動車が本当に「材料の寿命」なら、自動車を燃やして金属類を取るのが一番良い。その他には技術的に思い浮かばなかった。
もし、「新しい技術ができたので、古い自動車はすてる」ということでも、金属類以外は使いものにはならないので、材料寿命で捨てるのと同じである。
きわめて効率的に廃自動車を引取り、それを焼却して金属類を回収した場合、その商売が成立するかどうかを研究しなければならない。もし、通常の商売として成立するなら、国家は関与しない方が良い。
おそらく成立すると思った。その理由は、現実に廃自動車として持ち込まれるのは新車のディーラーか中古車の店だろうから、そこはできるだけ中古車として売ってそれで利ざやを稼ぎ、どうしようもないものは焼却に回すだろうからである。
希にボロボロの車を持ち込んだから数万円、処分代として取られるかも知れないが、これも合理的である。つまり、その人はその車を使っていた最後の数年間は、ほとんど購入経費はゼロで車を使っていたのだから、その後払いのようなものだ。
いずれにしても庶民から見れば自動車のリサイクルは無関係で、新車を買うときにはディーラーにわたし、それ以外は中古車屋に持って行けば良い、その次は専門家がやる。
そう考えると、「自動車のリサイクルの計算」ということ自体が難しくなる。「まだ乗れる車で、中古か輸出かできるのに、解体する」という不合理な場合の計算になるからだ。
私の手は止まり、「自動車のリサイクルの計算は意味がない」という結論になった。
(ここで中断)
ところで、まったく違うことだが、先日、ある方から写真をいただいた、余りに素晴らしい写真なので、このシリーズとは関係ないが是非、ご紹介したい。
日本はこれほどに素晴らしい自然と技術を持っているのだと私はしばし感激した。
(平成20年3月4日 執筆)