現代の日本は「迎合の時代」とともに、「両価性の時代」でもあるのでしょう。

 

 「温暖化を防ごう」と日本政府は呼びかけています。その一つとして「廊下の電気を消そう」とか「エアコンの設定温度を緩やかに」などとしています。エネルギーを節約することは良いことですが、暑くて我慢したくないためにエアコンを買い、寒いのが辛いから暖房をしている人もいます。

 

 自分のお金でエアコンを買い、自分のお金で電気を使っているのだから、それを我慢しろと言われると少し疑問を感じます。

 

 もし、温暖化に協力して、エアコンを買わず、エアコンがあっても電気を節約したら、お金が余ります。たとえば、政府の言うとおり節約をしていたら手元に1万円が余ったとします。

 

 余っているのだから、久しぶりに東京へ出て新宿でもぶらついてみようかと思ったとします。その人にとっては自分が我慢したお金で東京へ行けるのですから、大変結構なことですが、東京へ新幹線に乗っていくと、新幹線の中はガンガン冷房がかかっていますし、あの大きな列車を高速で走らせるのですから、かなりの電気を使います。

 

 新宿に行ってビルに入っても、どこかでぶらぶらしても、家でエアコンをつけているぐらいのエネルギーや資源は使ってしまいます。

 

 よく政府は「環境に優しい行動」と言いますが、その行動とはいったい具体的には何なのでしょうか?直接的に電気や石油を使わなくても、機械を使えば、その機械を作るためのエネルギーは自分で使ったも同然ですし、道路でも歩くためにはその道路を造るための膨大なエネルギーの一部を自分が使うことになります。

 

 かつて通産省が「省エネルギーのための国民の10の行動」というのを発表したのですが、その中に「一日一時間、テレビを見る時間を減らそう」というのがありました。

 

 私は早速、学生と、「もし通産省の通りにテレビを見る時間を減らしたら、どうなるか」と計算したところ、「テレビを見るのはエネルギーがかからない行為で、それ以下のエネルギーで時間を潰そうとしたら、布団の中で寝ているしかない」という結果になりました。

 

 まさか通産省ともあろうところが、国民にテレビを消して寝ていなさいと言っているわけではないので、何をすることを通産省は勧めていたのでしょうか?

 

 実はその後、私たちの研究室で「政府の言っていることは本当か」という検討を行ったところ、驚くべきことに政府の人は単細胞で、一つだけしか言わないで、その結果のことを考えていないということが判ったのです。

 

 「何かをやればいろいろなことが起こる」とか「物事にはよい面と悪い面がある」などという初歩的なことをまさか甲種公務員試験に合格し、世間ではエリートと言われる人たちが知らずに、単細胞で考えた結果を、こともあろうに国民に呼びかけることなどあり得ないのですが、事実はどうもそうらしいのです。

 

 政府が言うことがわかりにくいのはその点にあります。

 

 温暖化で、かたや電気を消しなさいと言って、余ったお金はどうするかは知らないというのと、温暖化はひとり一人の心がけと呼びかけて、排出権取引とかカーボンオフセット等と言うのは同じ質です。

 

矛盾したことを政府が言うので、国民は政府が何を考えているのかさっぱり判らないのです。

 

 精神病の関係で「両価性」という病状が知られています。これは同じ人が違う価値観のことを同時にいう病気の一種ですが、現在の日本政府は完全にこの両価性症状を見せています。

 

 たとえば、「あなたに何ができますか?」というのは「自分の損得より、地球に住む人間の一因として倫理的に温暖化防止に協力しなければなりません」と言っています。そしてそれで庶民、特に子供たちを洗脳しています。

 

 素直な人はそれを聞いて、少し損をしても・・・とおもって協力します。

 

 ところが政府は商売をする人たちには「排出権取引」「カーボンオフセット」を進めます。これらは「温暖化の防止を損までしてすることはありません。あなたが損をしなくてもできます。もしかすると儲けながら温暖化防止に役立つ仕事があります。その仕組みを政府が作りますから、やってください」と呼びかけるのです。

 

 そして排出権取引などでは、膨大な国民の税金を投入するのです。

 

 つまり政府は、国民には「道徳的な意味で協力し、お金もだせ」といい、業者には「商売になるから協力してくれ。補助金は出すから」という両価性を発揮するのです。

 

 リサイクルがその典型例です。政府は国民に「自分のゴミは自分で。国民は分別、自治体は収集、そして業者は再利用」と言ったのですが、実態は、国民が分別して税金を納め、自治体は税金をもらって中国に売り、業者は税金をもらって再利用しないという状態なっているのです。

 

 それでも政府は業者を庇い、国民には犠牲を強いて、反対を抑えるために情報を提供していません。

 

 温暖化で排出権取引やカーボンオフセットが多くの人にわかりにくいのは、日本人の心にはまだ日本人の誠があるのに、日本政府には誠がないので、そのギャップで理解が難しいのです。

 

 (平成2032日 読者からのヒントもあり執筆)