お母さんが「もったいない」と言う。それを通じて子供に感謝の心を育て、資源が有限であることを教える。

 

 このことをつらつら考えているうちに、倫理でいう「消極的黄金律」と「積極的黄金律」を思い出した。

 

 「相手がして欲しくないことはしない」というのが消極的黄金律、「相手のして欲しいことをしなさい」というのが積極的黄金律だ。

 

 私は以前、「愛用品の五原則」という一文を書いた。そこに私の考える愛用品の特徴を挙げている。

 

一、  持っているものの数がもともと少ないこと

二、  長く使えること

三、  手をやかせること

四、  故障しても悪戦苦闘すれば自分で修理できること

五、  磨くと光ること、または磨き甲斐があること

 

 考えてみると私の愛用品の五原則は、「感謝の心と環境」という点では積極的黄金律のような気がする。つまり、「もったいないから浪費しない」という否定形ではなく、「愛用品を使うことによって結果的に使うものが少ない」という肯定系だからだ。

 

 積極的か消極的かはどちらがよいと言うことでもなく、その人の性格によるように思われる。私のようにやや積極的な気分の人間は、「してはいけない」というより、「何かをして失敗したら反省する」というところがある。

 

 愛用品を使えば、一つのものを長く使う。だから結果的に節約することになる。それと目に前にあるものを「もったいない」といって大事に使うことと結果的にはほとんど差がない。

 

 「愛用品の五原則」と「もったいない」は今後の日本人の生活で大切な概念になるだろう。もし多くの日本人が「もったいない」という心で「愛用品」を使うようになれば、現在の多くの問題が解決するように思うからだ。

 

 この二つの言葉を守ることが環境や日本の将来にどのように影響を及ぼすかは、またゆっくり考えてみたいが、これを「心」で考えるか、「モノ」で考えるかによって少し違うような気がする。

 

 そこのところだけを今回、書いてみたい。

 

 愛用品の五原則を「心」で考えると、豊かな生活を送るには「モノが豊かである」と言うことではなく「モノが人の心に満足を与えること」というのが私の考えだ。モノは心より下位にあるから。

 

だから愛用品の五原則というのは「心」に中心があり、モノの消費量が少なくなるか多くなるかは結果論であって、目的ではない。

 

 そんな私から見ると、「もったいない」も「感謝の心を持って生活をすることによって、幸福になる」というのが基本で、結果的に「もったいない」とすると節約されるので、それがモノの消費を減らすことにつながっている。

 

 「資源の消費を減らすために、もったいないの心を持ちなさい」と言われると私は少し抵抗がある。「あなたの人生を支えてくれるものを作ってくださる方に感謝する為に、もったいないの心を持ちなさい」なら私は素直に納得することができる。

 

 僅かの差のようにも思われるが、20世紀という世紀は私たちの心をモノの従属物にしたと思う。だから、私たちは「資源を節約するため」というモノを中心とした考えに慣れてしまっている。

 

 私が3R(リデュース、リユース、リサイクル)という言葉が嫌いなのは、第一に日本人の生活規範を表現するのに英語を使っているからであり、第二にそれをすることによって確かにゴミが減り、資源は節約できるが、そんな「モノ」より、心はどうなるかがハッキリ判らないからだ。

 

 「人が作ってくれたものに感謝の心を持ちなさい。それは君の人生にとって大切なことだ。その結果として3Rになるでしょう」なら納得する。つまり3Rは結果であって目標にならない社会が好ましいと思う。