アリスハミルトン中心部.jpg

 

 アリスは次々と鉛製造工場の門を叩き、そして言った。

「鉛が健康障害を起こす可能性があります。是非、その調査をさせて下さい。」

 

 “鉛の製造会社に行って鉛の害を調べたい”というのだから、どだい無理な話で、訪ね歩いたすべての会社でアリスは門前払いにあった。自由が日本より尊重されているアメリカでも、政府のお墨付きでももらわなければ門前で拒否されるのは決まっていた。

 

 それでもアリスはへこたれなかった。断わられても断られても「鉛は本当に、健康障害を起こすものだろうか?」ということを知りたいという彼女の熱意は変わらなかったのである。

 

 ついに、運命の時が訪れた。ある会社、American Lead Companyと記憶しているが、その会社の門を叩いたとき、たまたま、後のその会社の社長になる人が工場の責任者だったのだが、彼女の来訪を聞き、応接室に通したのだ。

 

 アリスは言った。

「鉛が健康障害を起こす可能性があると考えています。是非、貴社の従業員の健康状態を調べさせてください。」

 

 責任者:「なるほど、では今、従業員を呼んで聞いてみましょう」

 そう言って10名ほどの従業員を部屋に呼び、一人一人に「君はどこか具合が悪いところはあるか?」と聞いた。従業員の答えは全員が「いえ、至って健康です」という答えだった。

 

 かくして彼は、

「どうも、あなたの言うことは違うようだが、もし調査を希望しているのなら自由に工場に入って調査しても結構だ。」

と答えて彼女に調査の協力を申し出たのである。

 

 もし彼女が鉛工場の門を叩く勇気がなかったら、もし調査を許してくれる人と合わなかったら、私たちは未だに鉛の害をなにも知らず、被害者を出していたかも知れない。

 

 この優しそうな風貌の女性になぜそんな勇気があったのか?私は不思議に思うけれど、それは事実なのだ。やがて彼女の調査で、濃い鉛に接していたら、健康が損なわれることが明らかになり、当時、自動車に添加されていた四エチル鉛は禁止されていった。

 

 事実を大切にすること、事実とは自らが足を運び、調査し、それを整理して初めて明らかになっていくこと、そしてもちろんのことだが、発表される内容が事実に基づいていること、その大切さをアリスは教えてくれる。

 

 そして、注目すべきことはあの工場の責任者はやがて社長となり、会社はアメリカ最大の鉛メーカーとなる。その一因は「他者よりいち早く、事実を知り、労働環境を改善して鉛による障害がでるのを防いだ」からである。

 

 アリス・ハミルトンの仕事を知っていた私は、牛込柳町の鉛公害(後に誤報と判る)に関するある大新聞の心の貧しさに落胆した。アリスは単独で鉛工場の門をたたき、自分が思っていること(鉛が健康障害を起こす)が事実かを必死で探求しようとした。

 

 それとは反対に、その大新聞は鉛の障害がでていない牛込柳町で「鉛障害」を創造したのだ。新聞社は鉛の害を強調したいという意図を持っていただろうし、それは正しかったと思う。

 

でも、新聞たるもの、生命線ともいうべき“事実”を軽視したこと、そのことは報道機関としてやはり大いに反省し、当時の紙面と同じ面積の紙面を割いて、誤報を訂正する勇気を記者の方に期待したい。

 

 もう一つ、アリスの体験は、「自分に不利と思われることでも、事実を白日のもとに晒すことによって、より長期的には改善されることになる」という具体的事例でもある。

 

 アリスの調査を受け入れた鉛の製造会社はいち早く、対策を打ち、労働災害を防いだ。「そんなことあり得ない」とアリスの調査を拒否した会社はその後、鉛の労働災害で工場の運転はうまく行かなかったと言われる。

 

 私はペットボトルのリサイクルが3万トンしかされていないと書いた。ペットボトルのリサイクルに関係している人は一斉に反発したが、本当にペットボトルのリサイクルを進めなければならないと願っていれば、その数字が具合が悪くても良くても受け入れるはずなのである。

 

 むしろ、自分に具合の悪い数字を率直に受け入れる勇気というのは、そのまま“事実を尊重する心”なのである。それこそが社会を明るくする。

 

 アリスはアメリカ人の女性だが、現代の日本の指導者より「日本人の誠」の精神を持っているように思われる。彼女は多くの業績と教訓を残し、1970年、101才の長寿を全うして生涯、研究者の人生を閉じた。