アイヌは狩猟民族であるが、ヨーロッパの民族と違って「魚」を採る狩猟民族である。その証拠にアイヌ語で魚のことをチェプというのだが、これは「食べ物」という意味である。つまり、アイヌにとって食べ物とは「魚」なのだ。

 

 アイヌ魚.jpg

 

 ある時、アイヌの人が魚を捕る伝統的な作法を勉強するチャンスに恵まれた。

 

 記録ビデオで見た魚の捕り方が、歴史的にずっと続いてきたものなのか、またアイヌの他のコタンでも同じなのかは判らないが、その他のアイヌ文化の全体像から見ると、とても「アイヌ的」で私には印象的だった。

 

 まず、まず川で魚を捕るために川の下流のどこか適当なところを選定する。川幅は約5メートル程度、河畔の向こう側は背の高い草が生い茂っていて、川の手前は開けていた。

 

 穏やかな川で水深もそれほど深くはない。ちょっと見ただけでは魚影もなくサケの遡上のように川面に魚の鱗が跳ねると言うことでもない。その川に仕掛けをかける。

 

 アイヌはさまざまな道具や木材を使うが、特徴的なのは3本の丸太でできた杭だ。その杭を中心として川の三分の一ぐらいの舞台と幅30センチほどの渡り廊下をわたしていく。

 

 杭の間にはヤナギで細工した柵のようなもので水は流れるけれど魚は通れないようにして、一カ所が出口になり、そこに網を張る。漁師は渡り廊下の上にいて魚が来ると網をあげて魚をその中に取り込む。

 

 この魚取りの方法は「ウライ」と言うらしい。単純な方法だが、私が興味を持ったのは、仕掛けの見事さや魚を捕ることそのものではなく、それに至る作法である。

 

 ウライを作る作業をはじめると、アイヌはゆっくりゆっくりと仕掛けを作っていく。川の中に打ち込む杭は役に立てば良いのに、恭しく持ち出し、慎重に打ち込み、さらに3本の杭の頭が揃っているかを調べ、それに十分な時間をつかう。

 

 なにからなにまでそうなのだ。ウライを作り始めてからそれがやや満足するようにできあがるまで、一体、どのぐらいの時間がかかるのかと心配になるぐらいゆっくりと作業をする。

 

 やっとウライができると、それでその日はそれで終わりである。家に帰りお祈りをして寝る。

 

 次の日の朝がやってくる。漁師はやおら起きあがり、さて昨日作ったウライで魚を捕る準備を始める。漁の服を着込み、道具をそろえ、用意万端が整うと、彼はすこし大きな松葉のような形をした奇妙なヤナギ(推定)細工を持ち出し、それを頭の上に置く。

 

 そして頭を振り、そのヤナギ細工を目の前の床に落とす。

「あ、ダメだ。今日は・・・」

と漁師はつぶやき、その日は終わりである。

 

 アイヌが川で魚を捕るにはいくつかの関門があるらしい。ゆっくりとウライを作り、漁に出るときには占いをして、「日がわるければ」出漁しない。

 

 このことを私は次のように解釈した。

 

 アイヌは狩猟がうまい。本気でとれば清流にいる魚を根こそぎ捕ってしまうだろう。でも、生きていく上にはそれほど大量にとる必要はない。それをどのように調和させるのか? その答えは「不能率」だったと思う。

 

 そういえば・・・

 

 アフリカの草原、サバンナにライオンが横たわっている。百獣の王はそれほど狩りは上手くないが、それでも、毎日を忙しく立ち回っているわけではない。王らしく悠々と寝そべり、ある時は仲間同士であそび、そしてあくびをしている。

 

 もしサバンナの王が働き者だったら、たちまちサバンナの動物はライオンに襲われてその数を減らし、その反対にライオンは栄養十分でどんどん子供を生むだろう。そうなるとサバンナは数年にしてその「持続性」を失うだろう。

 

 なにかの頂点に立つものの条件は「さぼり」であることだ。自然というのはそれほど多くを生産しないので、それに合わせて「よっこらしょ」と立ち上がり、そして時には狩りに失敗して、とぼとぼと帰るぐらいが良いのだろう。

 

 アイヌは人間の性(さが)と力の大きさを自覚しており、それと自然との調和を図るためにゆっくりゆっくりと作業をして、さあ、狩りに行こうとして占いをする。それが持続性をもとめる本当の知恵なのだろう。