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 アムンゼン、探検に臨む決意の顔である。

 

現代の社会でこれほどの顔に巡り会うことは少ない。豊かな人生を送ることも人間の願望だが、自ら望んで厳しい目標を立て、それに邁進する姿もまた美しいものである。

 

 1872716日、今から130年ほど前だがノルウェーの海運業の家に生まれたロアール・アムンセン。英語読みではアムンゼンと最後のところが濁るので、私たちは探検家アムンゼンと覚えている。

 

 少年時代にグリーンランド横断のニュースに感激して探検家を志し、最初は北極点到達を目標としていたが、それをビアリーに先んじられたので、南極点に変更、歴史的に名高いスコットとの「南極点到達争い」をした。

 

 そして19111214日、ついに初めて南極点に到達した。もちろん当時は氷をガリガリと砕きながら進むような砕氷船も雪上車も無く、犬ぞりと徒歩、それに貧弱な装備だから命がけである。もちろん、遭難しても携帯電話はない。

 

 物語にもなっているスコットとの戦いはここでは省略するが、この一葉の写真を見ていただければ、彼の冒険がどのようなものであったかを深く感じることができる。

 

 ところで、北極点をピアリーに先を越されたアムンゼンは飛行艇で北極点を通過し、「人類で初めて北極点、南極点に到達した人物」という栄誉を得た。

 

 立派な人物である。でも、彼を冒険に駆り立てたのは何だったのだろうか? 探検するということだけではなく、人類初、勇者・・・などの名前を冠した栄誉もあっただろう。人間の魂を揺さぶるもの、それは高尚でもあり、愚劣でもある。

 

 ところでアムンゼンは南極点到達から17年、北極を飛行中、遭難した。まだ50歳代の半ばだったから体力もあり、無念だっただろうが、それが彼の人生だった。

 

 1941年、日本軍はアメリカ海軍の艦艇を急襲する目的でハワイの基地を攻撃、それと前後して陸軍、そして航空隊の空軍が南下、マレーシアを中心に東南アジアに侵攻した。

 

 日本軍の南下で、当時、その海域の制海権を握っていたイギリス東洋艦隊と衝突する。敵の戦力の中心は大英帝国旗艦プリンス・オブ・ウェールズと僚艦レパルスだった。

 

 イギリス東洋艦隊に襲いかかった日本の一式陸上攻撃機と雷撃機が波状攻撃を加え、マレー沖で両戦艦を撃沈した。この戦いで敵の艦隊を発見して歴史的電信をうった帆足少尉は、その武勲にも関わらず翌年3月の台湾沖で戦死した。

 

彼は「戦場の生死とは、生きるか死ぬかではない。何時、死ぬかだ」と言ったと伝えられる。まさに、その通りである。

 

 ひとたび戦場に向かえば死の危険性がある。たとえば一回の出撃で死ぬ確率が25%なら、少し計算はややこしいが8回出撃すれば90%の確率で死ぬ。

 普段の生活で同じことを8回やったら、ほとんど死ぬなどということはあり得ない。戦争とか冒険というものは死の確率が日常の生活より格段と高いので武者ぶるいをし、だからこそ成功したら尊敬される。いわば「死」で「尊敬」を勝ち取るのである。

 

 ボロジノでナポレオン軍との対決を前にしたアンドレイ・ニコラーエヴィチ・ボルコンスキィ公爵は親友ピエールに対して、歴戦の勇士も戦闘を前にして死を覚悟し、それに怯える心を見せる。

 

 彼はナポレオン軍とアウステルリッツで戦い、敗北し瀕死の重傷を負う。経験、思慮ともに深い実務家の軍人であったが、やがて致命傷をおって若くしてこの世を去る。軍人であるかぎりは死ぬか生きるかではないのである。

 

 人間の魂の中には数え切れないような小さな粒が詰まっている。その中のどれを取り出しても磨けばふくらみ、そしてそれは輝く。

 

 冒険に命をかける心、祖国のために身を捨てる心、天職に没頭する心、そして何もしないで毎日をのんびりと過ごす心・・・すべては我々の心の一部であり、それが磨かれたものである。