浅沼稲次郎が率いたかつての社会党が崩壊して久しい。時代の流れもあるだろうが、社会党の村山党首が連立内閣ができて首相に任命されたときが凋落の第一歩だった。

 

 思い出せば、社会党の党首が自衛隊の観艦式にでて敬礼をしたのには心底、驚いたものである。それまで、「非武装中立」を掲げて自衛隊は「違憲だ」として、その信念で戦ってきた政党の面影はなかった。

 

 人間、一番大切なのは「誠実さ」だ。時代がかわり考えが変わったなら、それはそのまま白状するしかない。人間には間違いもあるし、勉強して考えが変わることもある。中心的な考え方だった「非武装中立」「自衛隊違憲」が首相の座を欲しいから投げたというのでは国民を向いていない。

 

 ところで、社会党が崩壊し、会社では労組もなくなった。イヤ、まだ労組はあるが、ほとんどその活動力を失った。

 

 労組が活動力を失った一番、大きな原因は「労働者が豊かになった」ということだが、その他にも労組の中心部が「労働貴族」になったこともあるだろう。私が知っている数人の労組幹部も生活は大変、豊かで職務上の理由で、料亭で美味しい物を食べている。

 

 その間に、日本は少しずつ不明朗になってきた。社会党や労組の主義主張が正しかったかどうかではない。「反対派」がいない社会は不明朗になる。

 

 せめて学者が反権力で学問の自由をかざし、報道も反権力で報道の自由で頑張れが国民は救われるが、学者は御用学者となり、報道は窓口取材(お上のところにいって記事をもらって書く)だからこれも頼りにならない。

 

 かくして、6年におよぶ「いざなぎ超え景気」で、企業の収益は64%も増えたが、賃金は2%減少した。一体、「景気がよい」という指標自体がおかしいのではないか?

 

 もともと日本国は日本人全体のものであり、企業のものでも、官僚のものでも無い。だから、「日本の景気が良い」というのは「日本国民が繁栄している」というのが計算基準にならなければいけない。

 

 戦後最大の景気というのに、国民の収入は減少している!? これは明らかに矛盾している。でも、それが現代の世相でもある。

 

 国民不在・・・それは、年金の5000万人、薬害肝炎、偽装問題、そしてリサイクルや温暖化・・・太平洋戦争に入る前の日本も同じだった。総与党の社会は怖い。

 

 来年は明るく行きたい。

 

そのためには何をおいても「誠実」であること「正直」であることだが、まずは学者が反旗をひるがえし、次に報道に期待したい。そうしたら国民の為に政治家も動く人がでるだろう。

 

 環境関係でよく「あなたには何ができますか?」と呼びかける人がいる。まさに「政治に期待せずに、一人一人がムダなことをする」ことを知っていて言っているのだ。本当は環境ということこそ社会全体に関係するので一人ではなく、選挙の投票こそが「あなたにできること」なのだが。

 

 誠実になって欲しい。