まだこの世が誕生していない頃、地は誰も住むことが出来ないほどの泥沼だったが、天帝がセキレイに命じて地に生き物が住めるようにせよと命じた。
セキレイは地に降り立ち、初めはあまりの泥沼に呆然としていたが、やがて乾いた土地を作り、初めて「この世」ができた・・・
世界の多くの地方や宗教に残る天地創造の物語がここでも語られている。そして信仰が深かく敬虔だったアイヌは、この世に不満を持つことはしなかった。
たとえば「あの山がもう少し低かったら、超えていけるのに」と言うと、「そんなことを言ってはいけない。あの山は天帝がお作りになったのだから」と諫めた。
自然を変えることを是とするヨーロッパ文明と、自然は神が与えられたものと考えてその範囲の中で人生を送ろうとするアイヌ文明。それは文明の対極のように感じられる。
北海道(エゾ)の海岸を行くと、西の海岸は荒々しく、東は優雅である。現代の科学ならそれを地質学的成因によって説明を試みるが、アイヌにはアイヌの文化があった。
・・・天帝はエゾを二つに分けて西半分を女神、東半分を男の神様に委ねて、土地を改良するように言いつけた。二人の神様は同時に改良に着手したが、間もなく、女神は妹が訪ねてきたのですっかり話に夢中になった。
その間、男神は黙々と仕事を続けてエゾの東半分を整地してしまった。妹との話に夢中になっていた女神は途中で気がつき、慌てて整地したので、エゾの西半分はゴツゴツとしていて住みにくい。
「あまりお喋りをしていてはいけません。仕事をしっかりと」とこの神話は教えている。そして女性の頭脳は言語能力が高いことはどこでも同じだと思うと親しく感じる。
アイヌの天地創造と生活に関係の深い自然物の話にもことかかない。
アイヌは、沼地とハンノキを畏敬の念をもち、かつ懼れていた。それは天地創造の時に最初に作られた木の一つとも考えられたからであり、ハンノキ自体が危険なものだったからだ。
沼地も狩りに出る彼らにとってやっかいな存在だっただろう。沼地に足を取られれば時によってはそれが命取りにもなり、獲物を追うときにはそれに遮られるからだ。
また、もしかするとかつては今よりずっと温暖な気候だったから、エゾにもマラリアやハブ(毒蛇)がいたのかも知れない。マラリアもハブも沼地に生息している。だから危険地帯、つまりハザードだったと想像をたくましくする。
ハンノキは万病の元と信じられた。天地創造の後、ハンノキに悪魔が宿っていてそれが腐って天地にバラまかれた。その破片が体に入り病気になるのだ。
でも面白いことはハンノキは忌み嫌われると共に、薬としても使われた。つまり毒は使い方によって薬であり、薬も量によっては毒になる。
現代の科学は一つ一つ、学問的理由をつける。それは我々を迷信から救い、よけいな犠牲や暗い社会を振り払ってくれる。でも、同時に自然は無味乾燥となり、そこから教訓を学び取ることは出来ない。
そして、毒は薬であり、薬は毒であるという知恵も、近代医学が存在せず、病気は最近などの微生物が原因しているということが判っていなくても持っていたことに驚く。
むしろ現代は頭が単純になって、毒と薬を分ける傾向になってきた。
(冬のサロマ湖:著者撮影)