アメリカのゴア氏は、クリントン大統領の時の副大統領で、環境運動家としても活動量が豊富であり、2007年のノーベル平和賞を受賞している。

 日本にいるとゴア氏の細かいことは見えないが、政治家としての実績も高く、特に政府の汚職や不能率に対する監視、自由貿易協定、さらにはインターネットの普及などがある。政治家としては立派な業績だ。

 

 家族思いでもあり、息子が交通事故にあった時に、その看病の為に職を辞したり、映画「不都合な真実」でも姉の死の影響がいかに大きかったかも語られている。人間としても立派に見える。

 

 しかし、ゴア氏の言動を彼の主要な政治テーマである「地球温暖化」に絞って見ると素直には理解しがたいことがいくつか見える。

 

 まず、表面的なことでは、次の3つにまとめられる。

1)  ゴア氏は終始一貫、地球温暖化が大きな災害をもたらす重大な問題であると発言している。

2)  事実、京都会議にはアメリカを代表して参加し、7%削減で署名した。

3)  大統領選に敗れた後も温暖化の危機を訴え続け、その功績でノーベル平和賞を受賞した。

 

 しかし、実際の行動では、次の3つが目立つ。

1)  本国に帰れば批准されないことを知っていて京都議定書に署名した(バード・ヘーゲル決議)。

2)  自らの主張を正当化するために間違いの多い本や映画を作成して世界の人を扇動した(イギリス高等法院判決)。

3)  ゴア氏の家の電気代は一ヶ月に30万円なのに「あなたには何が出来ますか・・・節電」を呼びかけている。

 

 小説「ジキル博士とハイド氏(The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde)」を思い出す。

 

 人間は複雑な動物である。特に頭脳の発達が未完成で、生物の種としては不完全だ。だから、せっかく脳が発達したのに、まだDNAの影響が強く、それが人間の裏表を作っている。

 

 社会で活動しているときには尊敬すべき学者「ジキル博士」だが、いったん裏に回るとその同じ人物が極悪人「ハイド氏」になる・・・今では「解離性同一性障害」と呼ばれ、昔はわかりやすく「二重人格」と言われた人間の持つ本質を描いて見事なスティーブンソンの小説である。

 

 ジキル博士とハイド氏は同一人物であるが、昼間は医学・法学の博士として活躍し、夜はまったく姿を変えてハイド氏になって悪事を繰り返す。だから、少なくとも外から見るとジキル博士は見えても、ハイド氏は見えない。不透明である。

 

 守屋前防衛省事務次官は、週日は仕事に邁進し、休日は接待ゴルフに精を出した。半分昼、半分夜で「半透明の解離性同一性障害」だろう。

 

 それに対してゴア氏は、口では温暖化防止に専念し、行動は温暖化を促進して、両方とも外からハッキリ見えると言う点では「透明の解離性同一性障害」と言える。

 

 つまり、ジキル博士は「不透明」、守屋次官は「半透明」、そしてゴア氏は「透明」という差があり、いずれも二重人格であることは確かである。ここでは私が医者として診断し病名をつけたのではなく、行動を分類しただけであるが。

 

 ジキル博士の夜の行動はまったく見えないから、普通の人は彼を立派な人物と思うのは当然だ。ジキル博士の異常に気がついたのは、彼の行動をつぶさに観察していたアターソン弁護士だけである。

 

 守屋次官の場合は、彼が防衛省で勤務していた時にはまともだったのだろう。だからこそ次官まで昇進した。でも、省内では毎日曜日に次官がどこに行って何をしているのかが判らないのだから、うすうす異常だと思っただろうから「半透明」である。

 

 それでも、守屋次官は退職するまで職を追われることはなかった。周囲の人は半透明の彼の異常な行動を見ても、表に見える守屋次官が「その人」であると信じる。決して奥さんに尻に敷かれ、業者からお金をもらってゴルフを楽しむ彼を「その人」とは思わない。

 

 社会が彼を二重に見ているのだ。さて、ゴア氏の場合はどうだろうか?

 

 ゴア氏は表では地球温暖化を訴える。その堂々とした姿に映画を見た人は感激し、そこで示されていることが事実と思い、自分もゴア氏の言うことに従って「自分に何が出来るだろう?」と考え、家に帰るとさっそく電気を消す。

 

 一方、ゴア氏は映画の撮影が終わると、チャーターしたヒコーキで自宅に帰り、煌々と電気がつき、全館冷暖房の広大な自宅でくつろぐ・・・やれやれ表の仕事は終わった・・・という気分だろう。

 

 ゴア氏は隠さない。その点では公明正大だ。

 

 つい、さっきまで、

TEN THINGS TO DO  (あなたにできる10のこと)、

Change a light       (電気を節約するために電球を替えよう)

Adjust your thermostat (エアコンの設定温度を適切に)

と呼びかけ、自宅に帰れば思う存分に電気をつける。

 

 ゴア氏の自宅の一ヶ月の電気代は日本円で30万円とされるが、電気料金は日本に比べてアメリカは3分の1ぐらいだから、日本では一ヶ月に100万円の電気代に相当する電気を使っている。

 

 一軒で100軒分の電気だ。そのゴア氏が言ったことを多くの環境運動家や文化人が感激し、ネットで「ゴアさんが言ったのだから、我々も電気をこまめに消そう!」と呼びかける。

 

 人間とは不思議なものだ。ハッキリとサギと判るのに引っかかって不幸な目に遭う人がいる。それを近くから見ていると「あんなにウソがハッキリしているのに騙されるなんて、あいつはバカだ」と思うけれど、本人には全体を見ることはできず、その詐欺師が言ったことしか聞こえない。

 

 「あなたに何が出来ますか?」と呼びかけ、「節電しましょう」と言い、そして自分は「100軒分の電気を使う」ということは、ゴア氏は「地球温暖化は問題ない。防止する必要がない」とおもって居るのだろう。本当は「やる気がない」のだ。人間は行動がその人の真意である。

 

 かつて大盗賊・石川五右衛門は釜ゆでの刑に処せられる時、「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」と言ったが、まさにサギもそれが人間の頭脳の欠陥をついてくるだけに、白昼堂々と世界の王道を歩くことができるようになった。

 

 日本の多くの人がゴア氏がやる気のないことに気づかないのだろうか?なぜ、知識も分別もある大人がゴア氏の作戦を見抜けないのだろうか?それは彼が「偉い人」だからだろうか?