このシリーズはもともと、日本人が持っている誠実さを江戸時代の描写を通して描いてみようと思って始めた。だから少しほのぼのした雰囲気を作りたいと思っていた。

 

でも、最近、テレビをつけると「誠実さの欠如した事件」が毎日のように報道されるので、我慢が出来なくなって少し書きたくなった。

 

いくら江戸時代には日本人に誠があったからと言っても、これほど誠実さから離れた社会ではどうにもならない。

 

 2007年10月、ニチアスという材料メーカーが住宅用耐熱材料をインチキして試験を通り、それを実際の住宅に組み込んでいたというニュースが流れた。上層部はすでに1年前に知っており、会社の体面を考えて発表しなかった。

 

 ひどい会社もあるものだと思っていたら、今度は東洋ゴム工業も性能が不十分の材料をインチキして試験に通し、それを販売していたという。

 

 私は「材料の燃焼と抑制」という研究を長くやってきて、その関係の学会長なども経験した。日本の住宅火災を材料面から減らそうとしてきた者としては実に残念である。

 

 研究の途上、私は学生に良く言ったものである。

「もし燃えない材料だけで家屋を作ることができたら、火災で亡くなる子供もいなくなる。大切な研究だからしっかり勉強してほしい。」

 

 でも、学生より数段、責任や経験もあり、社会の大先輩である一流企業の技術部長や重役がインチキをしてもらったら、学生になんと言ったらよいかわからない。どんなに優れた耐火材料を作ってもインチキをしたらどうにもならないからである。

 

 材料には耐火材や難燃材料などいろいろな分類があるし、試験方法も多様だ。でもそんなものは少しでも犠牲者を減らすための一つの方法にすぎない。

 

 火災で犠牲になる人は年間2000人を超える。しかもその多くは幼い兄弟だったり、寝たきりの老人である。しかも焼け死ぬのは辛いだろう。

 

そんなことを少しでも少なくしようと「燃えない材料」を研究しているのに・・・「誠実さ」はどこにいったのだ。

 

 家屋に材料を使う時には「正しく」使わなければならない。火の気の多いところには耐火材料や難燃材料を、あまり危険性のないところは普通の材料を、というように使い分けて安全を確保している。

 

 それを誤魔化すのだから、もし火災が起こって幼い兄弟がその短い命を落としたら、殺人罪で起訴しないとその意味がわからないのではないか!と私は怒りがこみ上げてくる。

 

 「日本人の誠」、それは他国ものが来ても決して船賃を偽らない船頭さんの心である。ごまかさない、言い訳ができるからと言って相手が誤解するようなことを言わないという精神であり、それは気高い。

 

 それに比べて、耐火材を偽る技術者とはどういう人物だろうか。まずは日本国籍をはく奪しなければならない。そういう人が日本人と称してもらったら困る。

 

 こういう人に限って、「真摯に受け止める」、「慙愧に堪えない」などという難しい言い訳をする。そしてなぜそんなことが起こったのかは決して言わない。ただ頭を下げるだけだ。

 

おそらくは来るべき損害賠償の裁判を有利に進めようとして事実を言わないのだろう。

 

 自らの職業を汚し、人の命をあやうくしても、まだ自分の保身を考えている。「日本人の誠」に帰ってほしい。それには、まず政府、自治体、先生、大会社の経営者などが先頭にたって「日本の誠」を守っていかなければならない。

 

 経営者が頭を下げただけでは不十分である。事件を起こした会社はその営業分野を放棄してほしい。続ける資格はない。