ヨーロッパが中世から近代に変わっていく時、多くの人はお金の価値を知らなかった。お殿様と平民という身分の差はあったけれど、お金持ちと貧乏人という差はそれほどはっきりしていなかった。
農村ではご領主様や地主様がおられて、そのもとで多くの農民が農作業をして暮らした。完全に平等という訳にはいかないが、身分を超えたような差が生まれることもなく、ご領主様はご領主様、地主様は地主様、そして農民は農民であった。
時代が変わる時、多くの啓蒙家が「お金というのはこんなに便利だぞ」と平民に噛んで含めるように教えたものである。曰く、「働いただけ生活が楽になる」「肉と違って腐らないから貯めておける」・・・ということだ。
それでも平民はお金をいやがった。「今日一日の生活を無事に送ったことを神様に深く感謝をして床につく」という生活ではお金はいらない。
それから300年。今では多くの人が「お金を稼ぐため」に働くようになった。そうなると思わぬ弊害もでる。肉ならいくら独占しようと思ってもそんなに多く貯めておくことも出来ないが、お金なら何万トンの肉を買うお金を貯めることができる。
かくして、少しずつ格差は広がり、昔なら「花咲爺」となって多くの人に花を咲かせて見せるような年のご老人が年収5億円で、働き盛りの人が生活に四苦八苦というような奇妙なことも起こり始めている。
「生物というのは共存共栄だ」と私と親交のある生物学者はつぶやく。獲物がとれると群れのボスが一番良いところを食べるが、それでも3倍も4倍も食べるわけではない。格差はほどほどなのである。
群れを率いることができるのはボスだけかも知れない。ボスとその群れの弱い個体とでは何回、戦ってもボスが圧倒的に勝つほど力の差があるかも知れない。それでも格差はほどほどであって、決して、決定的ではない。
でも、近代というのはお金を発見し、「お金持ち」と「貧乏人」の差はますます開き、ついには「バイオエタノール」騒動となった。バイオエタノールというのはすごい。
世界で8億人の人が飢えている。一方、世界で8億人の人が自動車に乗りたがっている。そこでトウモロコシがとれたら、それを人間が食べるか、自動車が食べるかを「お金で決める」というのがバイオエタノールである。
今まで、人間はそこまで踏み込まなかった。それは「食料は人間が共存していくうえでもっとも基本的なものだから、競争社会でも食料を燃料にしたりすることは止めよう」ということで統一していたからである。ブラジルなどの例外はあったが、それはあくまでも世界の片隅での出来事であった。
共存より便利な生活という傾向はすでに今までもあった。食糧の60%を輸入して40%を食べ残している日本人は食糧が不足している国からでも輸入している。お金があれば万能の世の中のように見えるが果たしてそうであろうか?
日本人の自殺率はロシアについて世界の上位にいる。平均寿命は世界一、所得もほとんど世界の最高水準にいて、自殺が多い。お金を中心とした社会は、幻想の豊かさを提供してくれるだけであることを示している。
バイオエタノールという怪物が登場したことをきっかけにして、日本人が「お金を基準にした社会」から離脱してくれないだろうか?「力の強いものがすべてを取る。あとは納得性のある理屈だけ」という論理を持つヨーロッパはお手本にならないから。
おわり