ここに一葉の写真がある。

 

私は長く研究職を続け、その中には新しいものを作り出したこともあったし、また研究が成功するまではほとんど使われていなかったものが、研究の成功と共に大量に使われ出したものもある。

 

 そんな私にとって写真を見るのは辛い。

 

 水俣の少女.jpg

 

 彼女にはもちろん、輝かしい未来、幸福な家庭、そして穏やかな老後が待っていたはずである。それを我々、研究者が根こそぎ壊してしまった。

 

 確かに、水俣病を引き起こした直接的な原因は日本窒素水俣工場で使っていた水銀だった。事件が起こった後の処置も不十分だった。会社も、熊本県も、そして政府も反省しなければならないだろう。

 

 昨年、水俣病50周年の大会に出席するために名古屋から日比谷公会堂に行った。大きな会場は満杯で、私は2階の隅で話を聞き、そして詫びた。もちろん、詫びて済むわけでは無いけれど、決意を新たにすることはできる。

 

 ダイオキシンの毒性は弱い。このことと水俣病はどういう関係にあるのだろうか?私はダイオキシンの毒性について勉強するたびに考える。水銀とダイオキシン・・・この二つの魔物をよくよく考えておかなければならないと。

 

 短慮や感情的になってはいけない。もし、再び間違ったら、あの少女の悲しさは癒されないだろう。

 

 水銀もダイオキシンも太古の昔から存在するものである。金属の水銀は大丈夫で有機水銀が危ないというがデータを見るとそれほどはっきりはしていない。ダイオキシンの毒性も低いが、それが大量になった時の影響はまだ研究が不十分である。

 

 だから、この二つは親戚だ。大昔からあること、少しの毒性を持っていること、である。ダイオキシンはラットに対して毒性が強いが、それでもU字カーブをとる。つまり「生物にとってダイオキシンは少量なら毒性が低く、むしろ必要かもしれない」という研究もある。

 

 水銀も体の中で必要な元素らしいということが最近の研究で判ってきた。化学工業では水銀が多くの反応の触媒として使われるし、日本近海の海にはかなりの水銀が含まれている。だから、生物が水銀を利用しないという根拠はない。人体から検出される水銀は、やはり「役に立っている」と判断すべきなのだろう。

 

 水俣病の教訓として私が学んだのは、チッソという会社を非難することではないと言うことだった。あの工場で使った水銀は太古の昔から使っていた普通の元素である。事故が起こるまで毒物とは思いもよらなかったのも頷ける。でも、問題は使い方や化学構造、そしてその量だった。

 

 どれが毒物、どれが無害と白黒をつけてしまったことがあの少女の哀しさを生んだ。

 

どんなものも、新しければ気をつけ、量が変われば注意し、そして使い方が変化すれば調べなければならない。

 

 ダイオキシンの毒性は低いが、かつて縦穴住宅や囲炉裏、そして焼鳥屋ででていたダイオキシンと、今、焼却炉でプラスチックを燃やしたときにでるダイオキシンは量が違うのだろうか、それとも「出方」に差があるのだろうか?

 

 調べてみると、ほとんど変化はない。プラスチックを燃やしたから特に多く出るということもなく、だからといって無制限になんでもして良いというわけではない。科学の進歩によって犠牲者を更に出さないためには、あの少女の願いを実現するためには、私たち科学に携わるものが、自分の立場、名誉などにこだわらずに、一つ一つに真剣に向き合って行くことだろう。

 

 そして、根拠もなく、ただ「あれが危ない」と100万もある化合物のたった1つを排斥している間に、本当に危険なものが私たちの子孫を破滅させると思う。

 

 少女は私たちの知恵の不足の犠牲になったのだから。

 

つづく