このシリーズは環境問題を表面的ではなく、少し踏み込んで考えてみたいという方と一緒にもう一度、環境問題に改めて向き合ってみたいと思って始めます。少しややこしい話が入ってきますし、「考え直す」のだから今までのことと違って腹が立つこともあると思います。

 

 第一回の話題は「旬のイチゴ」です。

 

 政府の発行するものに次のような表が載っていました。

 

 旬のイチゴ.jpg

 

 この表は1キログラムのイチゴを作るのにどのぐらいのエネルギーを使うかという計算です。旬のイチゴではほとんど自然の力でイチゴが出来ますから、たった419MJのエネルギーしか要りません。

 

 これに対してイチゴに向いていない気候では温度などを調整しなければならず、それには石油や電気を使いますので、エネルギーは実に6574MJと、旬の時期に比較して16倍も使うことになります。

 

 これを「環境の初級」で考えてみますと、

「自然に従うことが大切だ。イチゴは旬に食べれば美味しいし、エネルギーも少なくてすむ。時季はずれのハウス・イチゴなど食べようとするから環境が破壊するのだ」

という事になります。

 

 お国の文章もそう書いてあります。

「旬のイチゴを食べましょう!」

そしてこのシリーズも、もし「環境問題の初級講座」ならそうなりますが、「中級」とした限りは少しは踏み込んでみます。

 

 たとえば旬のイチゴはエネルギーが要らずに安価に作ることができるので、1パック200円で上等なものを買うことができるとします。また旬の時期ではない時に買うと、1パック2000円もするとしましょう。エネルギーは10倍以上ですが、値段はこの程度の差としてみます。

 

 あるイチゴ好きな人が毎日、イチゴを食べるとして一ヶ月30パック、旬では6000円を使い、季節はずれには60000円も使ったとします。そしてその人が毎月20万円を使って生活をしていたとすると、イチゴの旬の時期には残った194000円で生活をし、旬ではない時期には146000円しか使えない事になります。

 

 その差は54000円!彼はこれをどうするでしょう。

 

「今月はイチゴの旬だったから安上がりにすんだ。54000円分はよけいに使える」

と考えて、ガソリン・スタンドに行って満タンにして何回かのドライブを楽しんだとしてみます。彼はすっかり満足し、「やはり野菜は旬が良い」と思うでしょう。

 

 でも、これを「エネルギーの消費量」とか「日本の環境」として考えるとどうなるでしょうか?

 

 54000円分のガソリンとすると、リットル130円ぐらいとして400リットルは買うことができます。ガソリン1リットルで40MJぐらいはでるので、140リットルで160000MJを使ったことになります。

 

 このような計算上の見かけでは「旬のイチゴより季節はずれのイチゴを買った方が結局、エネルギーが小さい」ということになりますが、まあ、計算の方法によってはいろいろ言えますから、その事は「中級講座」ではあまり詳細にやりません。

 

 「旬のイチゴ」と「季節はずれのイチゴ」というあまりにも簡単な題材ですが、それでも「環境に本当にどちらがよいか判らない」という結論になる可能性があるのに注目してみます。

 

 現代の社会では特別な人を除いて、「使うことができる給料の中で生活する」「その範囲なら何を買うかはその人に任されている」ということですから、この例のように旬のイチゴを食べるとお金を使わないので他のものを買ってしまいます。

 

 これまでの貧乏な時代のように「人生を豊かにする=できるだけ大量のものを使う」という等式が成立するなら、イチゴが安い時に食べれば大量に安価に食べることができて、ドライブも楽しめる、ということになり(20世紀的思考と言われる)、自分のお金の範囲でイチゴが高くてもたべたい時にたべるのが最高で、その分、何かを犠牲にしてもそれは自分の判断(こころ優先。21世紀的思考と言われる)だとすると、季節はずれのイチゴもOKという事になります。

 

 政府やマスメディアの人は、

1)    20世紀型思考の中にいる、

2)    ものが多い方が幸福と思っている、

3)    出世とか名誉が人生で一番と思っている、

と考えていますので、どうしても「イチゴを安く買えれば、他のこともできるじゃないか」ということになります。

 

 経済学でも現在の経済学は「資源無限」が前提で、資源が枯渇してきた時に国際的な紛争が起こるかなどは考慮していないので、「活動量が多い方が善」という見方でしょう。

 

 著者は違います。現在の日本で「もの」はあまり幸福を与えてくれません。それでもお金はある程度、来ますので、安い高いとかエネルギーを使う使わないをあまり考えずに、自分が欲しいものを買い、自分の給料の範囲で楽しむのが良いと思います。

 

 さらにつっこんでみますと、いったい、政府はこのようなことを国民に呼びかけて何をしようとしているのでしょうか?日本の国民が「見かけのエネルギーの少ない生活」をすることが「国民の幸せ」になると考えているのでしょうか?

 

 それならガソリンや電気代を上げればすむことで、なにも旬のイチゴを持ち出さなくても良いとおもいます。政府の人も含めて、私たちの心の中には「買う物が多くなる方が幸福だ」という錯覚が根強く残っていることを感じます。

 

 最後に・・・産業界の圧力かも知れません。

 

つづく