ペットボトルをリサイクルしようと言うことになったのは、どういう理由だろうか?直接的にはペットボトルのメーカーが売り上げを増やしたいと言うことで大新聞とタイアップして運動を始めたことにあるが、より深い意味で考えてみたい。
ペットボトルは社会に受け入れられている。軽く、衛生的、資源の使用量も少なく、壊れる心配もない。実に素晴らしい容器である。
ペットボトルの容器が出来てから、醤油や油のビンが割れて飛散する事もなくなった。ペットボトルができるまでは「液体のもの」はおおよそ「重たくて割れやすいガラスビン」に入っていたものである。縄文式土器、弥生式土器、青銅、鉄、そしてガラスなどの主な材料の進歩に勝るとも劣らない素晴らしい容器である。
また、ペットボトルの飲料が出来て以来、おそらく世界中で水による食中毒などの事故が激減しただろう(統計不明だが)。また日本では「お茶くみの女性」がもっと有意義な人生を送ることが出来るようになった(これも定性的ではある)。
だから「ペットボトルは社会にとって大切な財産で、決して忌み嫌うものではない」と言えるだろうし、消費量の伸びから言っても社会に受け入れられていることは確実である。
それでもペットボトルは主に環境運動家によって忌み嫌われている。なぜだろうか?便利だからいけないのだろうか?便利なものは環境に悪いなら電車を止めて馬車にしなければならない。でも電車が環境に悪いことはない。問題は使い方だ。
それではペットボトルの使い方の何が悪いのだろうか?
1) 安易に使いすぎる。
2) 埋め立てると場所を取る。
1)はリサイクルとは直接的には関係がない。むしろリサイクルできると思うと安易に使う。実績でも示されていて、リサイクルが始まったら消費量は3倍に増えた。これは当然だ。
2)は埋め立てずに焼けばよい。焼けばゴミはゼロだ。また、二酸化炭素の心配も要らない。
埋め立てても微生物が分解して二酸化炭素を出すし、燃やしてもそれは同じだ。ペットボトルが混じっていた方が生ゴミが燃えやすいので役に立つ。そしてペットボトルは燃えやすく、ススもでないし、燃え残りも無いのでとても快適に燃やすことができる。
ペットボトルはなぜリサイクルするのだろうか?
ダイオキシンの錯覚、それだけだろうか?私にはその他に理由が見あたらない。もしかすると環境運動家の方は「国民はバカだからペットボトルのリサイクルでものを大切にするという教育をしなければならない」と考えているのかも知れない。
もしそうなら、私とはまったく考えが違う。私は日本国民がそれほどバカとは思っていない。自分たちの環境は自分たちで守らなければならないことぐらいは知っている。そうでない人も少しはいても、大半の人は真面目で郷土愛もある。
ペットボトルをリサイクルしようというのは錯覚である。さらに、ペットボトルのリサイクルは環境を汚すという点で「環境犯罪」であるが、犯罪の「動機」はメーカーや報道以外には見あたらない。だから何かに洗脳されたか、あるいは錯覚だろう。
つづく