私はこのホームページの「随想  Inverse Principle (逆向きの原理)  で次のように書いた。

1. 長く生きると命が惜しくなる。
2. お金持ちはケチである。
3. 科学が進歩すると社会が危険になる。
4. 教育を受けると人格が下がる。
5. 種が進化すると種は滅亡する。

 

 今から90年前、第一次世界大戦は、時のセルビア政府に手引きされたとされる青年ボスニアの一員、カブリロ・プリンチプが、オーストリー・ハンガリー帝国の皇太子、フランツ・フェルディナント大公とその后を暗殺したことがきっかけとなった。

 

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 この事件で直接関係した両国が戦いに入るや、ドイツ、ロシア、フランスなどが次々と参戦し、たちまち第一次世界大戦に発展した。

 

 この事件は「小さな出来事が無知な国民の感情的な反応によって世界大戦までになる」という例としてたびたび取り上げられ、「民主主義はもともと不可能な体制である」との論拠になっている。

 

 でも、この戦争を直接的に導いたのは民衆ではなく、やはり「お年寄り、お金持ち、教育程度が高い」人たちであり、彼らは「命が惜しく、ケチで、人格が低い」。ヒトという種族はまだ動物だった頃の影響を受け、「偉い人は偉い」と信じているが、「偉い人はくだらない」ということだ。

 

 そして本来、主人公であるべき民衆に提供された情報は、貧弱で、権力者からの情報であった。人間は情報によって行動する。仮に人間が情報以外で判断し、行動するとしたら、何によるのだろうか?

 

 人間にはDNAの指令による本能や反射的行動はあるが、それ以外の多くは脳の働きによる。脳は後天的な情報によって支配される。やや長い情報は「ミーム」という形で頭脳に蓄積し、愛国心や郷土愛などとして定着する。そして短期間の状況はその時、その時の情報に依存する。

 

 そうすると、DNAで「自分の身を守る」ことを指令され、ミームで「愛国心」を植え付けられ、そして最後に「憎々しげな敵国」という情報を流されると、人間の行動はどのようになるかは火を見るより明らかである。

 

 しかし、たとえDNAで自分の身を守ることを指令されていても、平和的伝統が過度な「愛国心」を醸成せず、情報が豊富で正しければ、民衆は第一次世界大戦へと突入しただろうか?

 

 私は“NO”と考える。戦争は多くの場合、その時の権力によって情報が操作された結果に起こることであり、豊富な情報は人間にバランスをとれた行動をもたらすものだと思う。

 

 後に書く機会があれば良いが、日本が間違った太平洋戦争では「鬼畜米英」というコピーが力を発揮した。これを「陽気なアメリカ人と紳士のイギリス人」と言えばずいぶん違っただろう。

 

 「サラエボの一発」によって第一次世界大戦がもたらされた第一の原因は「民主主義」ではなく「情報不足」もしくは「情報操作」であると思う。情報こそが人間社会で第一に尊重されるべきであり、「ありのままの情報」を尊ぶことが、民主主義の第一歩ではないか。

 

つづく