先回、日本の年金制度というのは1961年、つまり今から50年ほど前にできたことを説明した。50年というと日本の歴史ではほんの最近だから、長い間、日本人は年金なし人生を送っていた。なぜそれでも安心できたのかも明らかにした。
今回は、この問題をもう少し深く入ってみたいと思う。つまり「事実を綿密に見る」というのはいつも大切だからである。
年金制度は1961年に始まったものの日本には年金というもの自体がなじみが無く、加入者も少なく、月々の掛け金も100円などという年金の基金としてはほとんど意味の無い金額からスタートした。
それが月数千円と現実的に年金でやっとではあるが生活ができるようになったのは1980年代からで、さらに1986年に年金制度が改正され、国民が等しく年金に入るシステムができた。
だから日本の年金は今から20年前にはじめてできたと言っても間違いではない。私たち日本人が年金で生活ができる可能性がでてきたのすら、普通に考えられているよりずっと最近の事なのである。
でも、年金が安定したものになるためには、年金を支払うだけではなく、年金をもらう人が国民の大多数にならなければ意味がない。年金は本来「もらうもの」だからである。
そこで、さらに年金受給者数の推移を見てみることにする。
グラフからわかるように年金制度ができても実際に受給した人という意味では1970年まではほとんどゼロだから年金制度が無かったようなものである。年金制度が改正された1986年には1000万人を超えた。
1986年当時、65才以上の老齢人口は国民の10%程度だったから、約1300万人である。だから個人によって60才から年金を受給した人も多いが、それを加味してだいたい1995年には受給者数が1500万人になり老齢者の多くが年金をもらうことができるようになったことがわかる。
たびたび言うようだが、日本人が年を取って年金に頼るようになったのは、わずか10年ほど前なのだ。驚くべきほど最近である。
それまでは子供が親孝行をしていたし、親の方も「老いては子に従え」という生活を送っていた。
トラブルもあったが、それだけ家族愛も強かった。私の記憶でも、かつての男子学生は「卒業したら就職して親の面倒を見なければならない」という意識が強く、それが励みになって勉強したり、働く意欲を持っている学生も多かった。
それらはすべて崩壊した。崩壊させることが良かったのだろうか?また崩壊させたのは誰だったのか??
年金制度を考える時、また年金というもの自体を評価する時、このような歴史的・文化的側面を忘れてはいけない。テレビなどで年金の話を聞くと「いかに上手く年金をもらうか」というノウハウばかりの話が先行している。
失業保険などもやや類似の概念だが、「日本人は憲法に定められているように、等しく勤労の義務があり、国民全体で生活を支える」ということだ。だから失業保険も受給するのを遠慮しなければならないのに、堂々と失業保険をもらっている。
さらに「本来なら失業保険の対象ではないが、こうすればもらえる」類の番組すらある。「どうしたら人の家に忍び込めるか」という講座よりは少しは良いが、似たようなものに私には感じられる。
ともあれ、年金制度は10年前に整えられたこと、それがすぐ「少子化で年金がダメになる」と言われたこと、そして年金を扱う社会保険庁の不祥事と続いているのである。
つづく